のものであっても、俳句に比すればずっと遙《はる》かに主観的で、作者の人生観や哲学やを、強く情熱的な調子で歌い出している。小説に於ける日本の自然派が、世界無比にレアリスチックの文学である如く、日本の俳句もまた、世界無比にレアリスチックの韻文である。そこには殆ど、強い調子の情熱と言うものが、全く語られていないようにさえ思われる。
故に他との比較に於て、俳句が客観的であることは明白であり、またこの点から修辞して、俳句を「客観主義の詩」と呼ぶこともできるだろう。しかしこの場合に考えられる客観主義とは、詩という文学の立場に於ける、本質を具備しての客観である。即ち詳説すれば、俳句の本質は和歌と同じく、純一に主観的のものでありながら、その詩情に於ける色合や気分やが、特殊の静観的なものを有するために、この点の特色からみて、仮りに客観的と呼ぶのである。故《ゆえ》に俳句の観照は、常に必ず主観の感情によって事物を見、対象について対象を眺《なが》めていない。換言すれば、俳句の表現は「情象」であって、実の客観の「描写」でない。
この点について、世には俳句を誤解している人がある。即ち或る人々は、俳句を以て単に象徴主義の徹底した表現と解しており、自然《レアール》に於ける真実の像《すがた》を捉《とら》え、物如の智慧深い描写をすることで、表現の本意が尽きると考えている。もし俳句と称する文学が、実にかくの如きものであるならば、俳句は描写本位の文学である故に、小説等と同じ種目に属する芸術品で、断じて詩と言うべきものではないのだ。しかし吾人の見ている限り、古来のいかなる真の俳句も、悉《ことごと》く皆情象であり、単なる描写本位の句というものは決してない。多くの一般の俳句は、自然の風物に託して主観の情調や気分を詠じているので、純に観照のために観照をしている如き、没情感の冷たい俳句と言うものは見たことがない。例えば蕪村《ぶそん》の
[#天から2字下げ]春の海|終日《ひねもす》のたりのたりかな
という句の如きも、単にかかる自然を描写しているのでなく、主観に於ける春日長閑《しゅんじつちょうかん》の無為の気分を、対象の中に情調として見ているのである。他のあらゆるすべての俳句が、皆これに同じである。芭蕉《ばしょう》の句
[#天から2字下げ]草の葉をすべるより飛ぶ螢《ほたる》かな
の如きも、或る種の小説家等が解する如く、単なる写実主義の描写でなくして、背景に於ける夏の夜の気分を情象しているのである。これらの俳句からして、単にその描写的手法のみを見る人は、実に「俳句」を読んで「詩」を理解しない人と言わねばならぬ。この俳句に於ける「詩」の本質を、その道の術語で「俳味」と呼んでいる。俳味は一種の黙約された詩趣であって、この詩的精神の本質なしには、決して俳句は成立しない。蓋《けだ》し俳句が、その写実的なる描写手法にもかかわらず、本質上に於て詩の精神を失わないのは、実にこの俳味と称する霊魂が、本質に於てあるためである。故に真の俳句は、性格的に俳味を有する人でなければ、決して作ることができないわけである。(近来の新傾向の俳句の中には、俳味を否定するものがあるけれども、この場合にはそれに代るべき、別の詩的精神が入れ換えにならねばならぬ。)
かく俳句の表現は、対象のために対象を見るのでなく、主観に於ける俳味、即ち詩情によって対象を見、風物を情象するのであるから、本質に於て主観的表現であることは勿論《もちろん》だが、就中《なかんずく》真の詩的精神を有する俳句に於ては、一層その主観が強く高調的に表出されている。例えば芭蕉や*蕪村の俳句にあっては、俳味がそれ自ら生活感の訴えるイデヤとなっている。故に彼等の情象する世界を透して、吾人は或る霊魂の欲情している、情熱の高い抒情詩《じょじょうし》を聴《き》くことができるのである。これに反して精神のない低劣の俳句は、詩情が機智的の趣味性に止まっているため、観照に於ける描写的手法のみが感じられ、真の強い詩的情熱を感じさせることがない。俳句が「感情の意味」で読まれずして、機智的なる「知性の意味」で読まれるのは、かかる低劣なる作品のためである。真の精神を有する俳句は、知性の頭脳《ヘッド》に響かないで、直ちに心情《ハート》に触れて来ねばならない筈《はず》だ。
故に芭蕉や蕪村やの、真の精神を有する俳句は、常に文字通りの「抒情詩」として感じられる。そこには常に、何かの訴えているものがあり、哀切しているものがあり、欲情しているものがいる。そしてこの一つのものこそ、彼等の生活に於けるイデヤであり、真の意味の「主観」である。されば俳句を客観的という意味は、全く詩趣の特色についてのみ見た意味であり、本質上には何等関しないことである。本質上には、俳句も他の一般の詩と同じく、
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