性とは、常に並行して両存するものである故に、その一方が進む時は、他方も前に進むのである。一端を押しつけることによって、他端が後に引くことは考えられない。
 では近代初頭に於ける古典韻文の凋落は、どこにその真原因を持つのだろうか? 前言う通りこの解説は、少し後の章に譲ることにし、此処では深く触れることを避けておくが、すくなくとも表面の理由としては、丁度今言った通俗の解説が、逆に裏返されたところに事情している。即ち文芸復興期以来に於ける、理智偏重の啓蒙思潮が、近代初頭に於て反動され、人心の中に深く圧迫された感情が、一時に洋々として堤を切った為、此処に十九世紀浪漫主義の運動となり、古典韻文の生《なま》ぬるい叙事詩等が、非主観的として排斥され、非感情的として疎外されてしまったのである。実に近代の新しき抒情詩に比較する時、叙事詩や劇詩の長篇詩は、尚|甚《はなは》だしく客観的で、真の純粋なる主観表現と言い得ない。なぜならばこれ等の詩は、歴史上の事件や寓話《ぐうわ》に材を借りて、半ばそれを記述しつつ情象するのである故に、より純一の立場で見れば、真の徹底したる主観でなく、より歴史や小説に近いところの、半ば客観的の文学と言わねばならぬ。
 真に純一の詩というものは、こうした叙事詩の類でなくして、主観の感情それ自体を、直ちに卒直に歌うものでなければならないだろう。なぜならば詩の本質は、それ自ら主観の表現にあるからだ。そこで近代の短篇詩が取った道は、この主観への一直線な突進であり、感情それ自体の直接な発想だった。然るに感情そのものは、他の事件や題材を借りない限り、全く無形なる気分上のものに属するから、此処に近代の短篇詩は、著るしく気分的、情調的のものに傾向してきた。そしてこの傾向の押すところは、遂にメタフィジックの認識にふれ、必然に「象徴」への到達に導かれた。実に近代詩の特色は、その象徴的な点に於て著るしく、古代の抒情詩等と全く趣がちがっている。特に象徴派以後の新しい詩――写象派・心象派・未来派・立体派・表現派等――は、就中《なかんずく》象徴を以て表現の一義としている。故に吾人は、象徴の何物たるかを知らずして近代詩を論ずることができないのである。以下、次章に於てこれを述べよう。

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* 叙事詩と抒情詩とで、どっちが男性に属するかという事は、西洋で多くの文学者に論じられている。或る人は叙事詩を女性、抒情詩を男性と言い、或る人は反対に叙事詩の方が男性だと主張している。かく人によって意見が異なるのは、叙事詩に対する解釈がちがうからだ。即ち一方では、それが表面的に「事件を叙述する詩」と解され、一方では同じ言語が、詩の本質的な特色からして、英雄感的のものと解されている。
 そこで前者の語解によれば、叙事詩は女性的のものに見られてくる。(なぜなら女性というものは、すべて事件の細々《こまごま》とした描写を好むもので、真の抒情詩的表現を持たないから。この意味でなら女の詩は、素質的に皆叙事詩である。)反対に後の解釈では、叙事詩が男性に属してくる。著者はこの書物に於て、性の本質上の特色――即ち後の方の意味――で、以下叙事詩という言語を使用する。
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     第五章 象徴


        1

 文壇という世界は、いつも認識上に霧のかかった、不思議な朦朧《もうろう》とした世界である。そこでは絶えずいろいろな観念が創造され、いろいろな言語が使用されるにかかわらず、一も意味のはっきり[#「はっきり」に傍点]とした解釈がなく、定義の確立した観念も出来ない中に、次から次へと流行が変って行き、空《むな》しく取り散らされた多くの言語が、無意味不可解の闇《やみ》の中で、永く幽霊のように迷っている。此処《ここ》に説く「象徴」という観念も、この怨《うら》めしき亡魂の一つであって、かつてずっと早くから我が国に輸入され、一時詩壇で流行したるにかかわらず、早く既に廃《すた》ってしまい、しかも今日|尚《なお》、言語は不可解のままに残されている。
 抑々《そもそも》「象徴」とは何だろうか? 一言にして言えば、象徴の本質は「形而上《メタフィジック》のもの」を指定している。本質に於て形而上的なるすべてのものは、芸術上に於て象徴と呼ばれるのである。然るに形而上的なるものは、主観の観念界にも考えられるし、客観の現象界にも考えられる。換言すれば、時間上に考え得られる実在もあり、空間上に考え得られる実在もある。これを芸術上で見れば、前者は人生観のイデヤにかかわり、後者は表現上の観照にかかわっている。そこで象徴という言語にも、二つの異った意味が生じてくる。先《ま》ず前のものから説明しよう。
 先に他の章(人生に於ける詩の概観及び芸術に於ける詩の概観)で述べた
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