険談、戦争談であって、その情操は雄大、荘重、典雅、豪壮等の貴族的尊大性を高調している。これに反して抒情詩《リリック》は、主に恋愛や別離を歌い、その情操は哀傷的、情緒的で、優美にやさしく涙ぐましい。故にリリカル(抒情詩的)という言葉は、常に哀傷的で涙ぐましい情緒を指してくる。反対にエピカル(叙事詩的)は、意志の強く、尊大で思いあがった、闘士的、英雄的な興奮を言語している。尚換言すれば、前者はメロディアスの気分であり、後者はリズミカルの気分である。
 古代希臘に於ける、この叙事詩《エピック》と抒情詩《リリック》との特殊の対立――それはホーマーとサッホオによって代表されている――は近世の文芸復興期に至っても、同じ精神の流れを汲《く》んで伝承してきた。即ち叙事詩にはダンテやミルトンのような詩人があり、抒情詩にはペトラルカやボッカチオの類の詩人がいた。そして前者の詩材は、主に神学、宗教、哲学に関する超現世的|瞑想《めいそう》風のもので、その情操は、やはり荘厳、雄大、典雅、荘重の形式ぶった貴族趣味を高調した。これに反して後者の詩材は、主に恋愛その他の現世的な生活実相から取ったもので、俗にくだけた、ざっくばらんの[#「ざっくばらんの」に傍点]、窮屈に四角張らない平民趣味の情操を特色していた。即ち約言すれば、古代希臘の昔から一貫して、叙事詩《エピック》の特色は男性的貴族主義で、抒情詩《リリック》の特色は女性的平民趣味のものであった。また前者は超現世的、超人間的であり、後者は現世的、人間的に一貫してきた。
 しかしながらこれ等の古典詩は、近代に至って悲しむべき凋落の悲運に会した。特に上古から文芸復興期にかけ、全盛の栄華を尽した叙事詩《エピック》は、十八世紀末葉以来|漸《ようや》く人々に疎外され、最近に至って全く影の薄いものになってしまった。一方|抒情詩《リリック》もまた、著るしくその形式情操を変貌し、今日普通に称呼される意味の言語は、古典韻文のそれとちがって、単なる牧歌体の短篇詩を名称している。実に今日の詩壇に於て吾人が一般に言っている抒情詩とは、近代に於ける短篇詩の謂《いい》であって、古典のそれと意味が大いにちがっている。したがって今日の言葉で言う叙事詩とは、詩の内容と関係なく、単に短篇詩に対する長篇詩を指す観がある。
 さて此処で考うべきは、何故《なにゆえ》に古典の長篇詩が、近代に至って衰滅したかということである。あの上古から近世の始めにかけて、マンモスや怪竜の群の如く、地球上を横行していた巨大な長篇韻文が、最近二三世紀の間にかけて、一時に没落してしまったと言うことは、たしかに夢のような天変地異を感じさせる。何等かそこには、深い特別の事情が無ければならない。そして実際、そこには十分の事情と原因が存するのである。しかしその最も根本的なる、真の第一原因たる事情については、後に他の章で説明しよう。此処では故意にそれを除いて、他のより[#「より」に傍点]表面的なる誤った俗見について啓蒙《けいもう》しよう。
 明白に、だれの眼にも見えている事は、近代に於ける散文の発達である。実に韻文の凋落と散文の発達とは、近代の歴史に於て逆比例を示している。昔にあっては見る影もなく、叙事詩や劇詩の繁栄の影にかくれて、卑陋《ひろう》な賤民《せんみん》扱いにされていた小説等の散文学が、最近十八世紀末葉以来、一時に急速な勢力を得て、今や却《かえ》って昔の貴族が、新しい平民の為に慴伏《しょうふく》され、文壇の門外に叩《たた》き出された。何故だろうか? 一般に解説されているところによれば、この世界変動の真原因は、文明の進歩によって、人間が科学的になり、理智的になった為だと言われる。理智的の人間は、すべてに於て客観的なる、真実本位のレアリスチックな文学を好むであろう。叙事詩の如き浪漫的で情象主義の文学は、かかる理智的な科学時代に、凋落せざるを得ないというのだ。
 しかしながらこの解釈は、果して合理的であるだろうか。もし実にそうだとすれば、近代に於て凋落すべき悲運のものは、独《ひと》りあに叙事詩や劇詩のみでない、音楽や、歌劇や、舞踊の如き、一切の情象主義の芸術は、その非レアリスチックなことによって、悉《ことごと》く皆没落せざるを得ないだろう。然るに音楽やバレーの如きは、近代に於て益々《ますます》栄えたのみならず、古代中世のものに比して、却って著るしく感情的になり、浪漫的、幻想的に傾向して来た。(昔の音楽が極《きわ》めて理智的なものであることは前に述べた。)
 のみならず近代の短篇詩は、浪漫派を始めとして、著るしく皆感情的で、昔の叙事詩等のものに比し、却ってその点で特色している。故に上述のような解説が、皮相な謬見《びゅうけん》にすぎないことは明らかである。けだし人間に於ける知性と情
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