である。
[#ここから3字下げ]
* 音律を無視した絵画風の詩については、著者は好感を表し得ない。こうしたものは言語の|綴り《スペル》する特色を忘れたもので、明白に文学の邪道である。正道の詩はやはり音律の「骨骼」を持たねばならない。しかし新しき詩の定義が、こうしたものをも包括し得ることは事実である。その限りに於ては、著者もこれ等の詩を認める。
[#ここで字下げ終わり]
第四章 叙事詩と抒情詩
詩の歴史は、地球の西と東とから、同時に別々に発展して来た。即ち西には希臘《ギリシャ》の詩が起り、東には日本の詩が起った。そして西洋は叙事詩に始まり、日本は抒情詩に起元している。この二つの詩の歴史は、相互に何の関係もなく、つい近年に至るまでは、個々に並行して来たのである。故に吾人《ごじん》の立場で見る時は、常に西洋と日本とを同時に両方から眺《なが》めつつ、観察を並行させて行かねばならぬ。だが日本の事情は後に廻して、此処《ここ》では西洋の詩の歴史と、彼の古典詩について先に語ろう。
西洋の詩の歴史は、ホーマーの叙事詩《エピック》に始まっている。そこで叙事詩について概説しよう。人の知る通り、叙事詩《エピック》とは神話や歴史の伝説を、韻律の形式で歌ったもので、つまり言えば一種の韻文物語であり、音律を以て語られた歴史である。だが真の学術的な歴史と叙事詩とは、様式の根本精神に於て異っている。歴史の書こうとする精神は、何よりも事実の正確な記述にある。即ち歴史家の認識は、事件について事件を見、現象について現象を見ようとするところの、真の客観的な態度である。これに反して叙事詩は、主観によって事実を見、感情の高翔《こうしょう》した気分によって、歴史を詠歎《えいたん》しようとするのである。即ち一言で言えば、歴史は事実を「記述する」ので、叙事詩はこれを「情象する」のだ。そして詩と歴史の別れるところが、実にこの一点にかかっている。(前章参照)
序《つい》でながら、此処で小説と歴史、小説と叙事詩の区別を述べておこう。けだし小説は、人生に於ける或る物語を描くのであるから、言語の広い意味に於て、一種の創作的な歴史、もしくは散文の叙事詩と思惟《しい》することができるだろう。のみならず小説は、他のより[#「より」に傍点]本質的な特色から、叙事詩と共通した精神に立ってさえいる。それで或る人々は、時に小説を指して歴史(文学的歴史)と言い、或《あるい》は散文の叙事詩と呼んでいる。だがこうした呼び方は、もちろん言語上の比喩《ひゆ》であって、具体的に適応しないのは勿論《もちろん》である。明白に言って小説は――どんな歴史物語的の小説でも――実の歴史とちがっているし、また勿論叙事詩とも根本でちがっている。なぜなら小説の表現は、史上の事件を「描写する」のに、歴史はこれを「記述する」し、叙事詩は「情象する」からである。
[#ここから3字下げ]
叙事詩と小説の相違は、琵琶歌《びわうた》と講談の相違である。琵琶歌は感情の浪《なみ》に乗って事件が語られ、講談はそれがさも有る如く、事件がレアールに描写される。
[#ここで字下げ終わり]
叙事詩に類する別の韻文は、劇詩と称するものであって、これの舞台に於ける様式を詩劇と言う。この劇詩や詩劇やが、普通の科白劇とちがうところは、後者が「知性の意味」を主とし、人生のレアールな真相を表現しようと欲するのに、前者は「感情の意味」を主として、神秘、荘厳、優艶《ゆうえん》、典雅等の、情的な意味や気分を出そうとする。即ち後者の表現は「描写」であって、前者の表現は「情象」である。西洋のバレー、パントマイム、オペラ、日本の能楽、歌舞伎劇等は、その脚本の韻文――即ち劇詩――と共に、前者に属すべきものであろう。
しかしながら西洋の古典詩中、いろいろな意味で叙事詩《エピック》の対象となるべきものは、実に女詩人サッホオ等に代表される抒情詩《リリック》である。この「叙事詩」と「抒情詩」とは実に西洋詩の二大|範疇《はんちゅう》と言うべきもので、古典韻文の既に全く凋落《ちょうらく》した近代に至っても、尚《なお》或る変貌《へんぼう》した形に於て、本質上から互に対立している有様である。おそらくこの二つの詩派の対立は、永遠に世界の終るまで、避けがたく両立する二大系統であるだろう。しかしこの解説は後に譲り、尚表面上の説明を続けて行こう。
古典韻文としての抒情詩《リリック》は、形式に於ても内容に於ても、大体ほぼ叙事詩《エピック》に類している。しかしながらただ、或る一の相違で名称を異にしている。その根本的なる相違は、叙事詩《エピック》が*男性的であるに対し、抒情詩《リリック》が女性的であるということである。即ち詳説すれば、叙事詩《エピック》の詩題は主に英雄談、冒
前へ
次へ
全84ページ中46ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング