でもなく、単に非風流人――風流を解せぬ人物――と言うにすぎない。
[#ここで字下げ終わり]
第十五章 詩と民衆
詩という文学は、元来言って公衆的の文学でない。日本でも西洋でも、詩の読者は限定されており、小説のように多方面の読者をもっていない。この広く読まれるという点からすれば、詩は到底小説の比較でなく、民衆的の通俗性がないのである。けだし詩は文学の山頂に立つものであり、精神の最も辛辣《しんらつ》に緊張した空気の中でのみ、心臓の呼吸をする芸術であるからだ。詩に於ては、すべて精神的にふやけた[#「ふやけた」に傍点]もの、だらだら[#「だらだら」に傍点]したものが擯斥《ひんせき》される。ところが公衆の方では、またそれが無ければ解らないのだ。
故《ゆえ》に公衆の眼から見ると、詩はいつも山頂に立ってる哲学者で、容易に親しみがなく辛烈のものに感じられる。しかしこのツァラトストラは、決して民衆から絶縁された存在でなく、実には却《かえ》って、彼等と気質を同じくするところの、人種的同一類に属しているのだ。しかもこの大先生が、民衆を軽蔑《けいべつ》すればするほど、いよいよ彼の偽らざる本性が、公衆の一味徒党であることが解ってくる。なぜならこの場合には、両方の反対衝突するものが、同じ一つの線の上で向合っているのだから。そしてこの両者の立脚している一つの線こそ、それ自ら詩的精神の本質に外ならない。
民衆について知られることは、どんな場合にも、彼等が詩的精神の所有者であるということである。この意味から言えば、世に民衆ほどにも、真に詩を愛するものはない。ただ彼等は、教養的に素質のない子供であって、真の高いもの、立派なもの、美しいものを理解し得ない。彼等は永遠に稚気|芬々《ふんぷん》たる子供であるから、いつも詩的精神の中に於ける、最も低級のもの、最も愚劣のものを悦《よろこ》ぶのである。しかもいかなる場合に於ても、民衆が悦ぶものは詩的精神である。詩的精神以外の、どんな芸術も彼等は求めようと思っていない。詩そのもの! 民衆が欲するものは、常にただそれだけだ。
されば民衆によって読まれる文学は、常に必ず詩的精神のある文学である。例えば恋愛、人道、冒険、怪奇等の、すべて倫理感や宗教感に本質しているところの、抒情詩《じょじょうし》的、もしくは叙事詩的ロマンチシズムの文学である。試みに今日世界に於て最も広く読まれている文学が、だれの何の作であるかを考えてみよ。芸術的高級の作品としては常にユーゴーとトルストイである。そして特に『レ・ミゼラブル』と『復活』である。或《あるい》はまたジューマである。バルザックである。到るところに、常に民衆によって読まれるものは、倫理感や宗教感を高調している文学である。抒情詩的もしくは叙事詩的陶酔感をあたえるところの浪漫主義的傾向の文学である。民衆は客観的芸術を欲しない。彼等の常に欲するのは、情熱的たる主観主義の文学であり、詩的精神のある文学である。
所謂《いわゆる》「*大衆芸術」と称するものがこれによってまた民衆の間に喝采《かっさい》されている。文学ばかりでなく、演芸に、活動写真に、到るところの世界に於て、吾人はこの種の芸術を発見する。それは一つの、民衆を「悦ばすため」の、娯楽としての芸術である。だが彼等の目的から、何をしているだろうか。それはあらゆる最高の手段に於て、民衆の倫理感をあおり立てる。恋が破れ、貞操が失われ、血が流れ、義人が殺され、善人が迫害される。でなかったらばあらゆるロマンチックの冒険と怪奇によって、宗教感のセンチメントを高調させる。しかもこの感激的高調にかかわらず、すべての出来るだけの無内容と、できるだけの愚劣な馬鹿馬鹿しさとで、民衆の甘ったるい理解力に訴えるべく、用意を十分に備えている。
たれでも我々は、こういう芸術を軽蔑する。ところが民衆には、これがいちばん悦ばれるのだ。なぜなら民衆は、永遠に稚気芬々たる子供であって、真の高いもの、美しいものを理解できないから。しかも彼等は、常に渇《かわ》くように詩を求めている。どこにでも、ただ詩が――詩的な感激が――有りさえすれば好いのである。たとえば彼等は、丁度腹の空《す》いた子供に似ている。何でも好い。詩でありさえすれば食おうとする。しかもまだ不幸なことに、彼等の味覚は低劣であり、胃袋は駄菓子によって傷害されている。民衆は一のいじらしく、純良なる、しかしながら憐《あわ》れむべき貧民の子供である。
それ故に吾人《ごじん》は、民衆に対して二つの別な感情――愛と軽蔑と――を、同時に矛盾して持たざるを得ないのである。彼等は「善き素質」を持ちながら、しかも「悪《あ》しき境遇」に育っている。一方から考えれば、彼等ほどにも詩を愛し、詩を尊敬している種属はなく、しか
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