やの小説は、詩的精神の最も情熱的なものを感じさせる。なぜなら彼等のモチーフは、主として愛や人道やの、道徳的情操の上に立っているからである。前章に述べた通り、すべて倫理感の本質するところは、それ自ら詩的精神である故に、倫理的観念――恋愛を含めて――によって書かれたものは、必然に皆情緒を刺戟し、一種の抒情詩的な陶酔魅惑をあたえる。すべての倫理感的な文学は、それ自らみな詩的である。
ところが此処に、こうした宗教感や道徳感を排斥し、すべてに於て「詩」を拒絶しようとする文学がある。即ち人の知る自然主義の文学である。実に自然派の文学は、芸術から詩を抹殺《まっさつ》し、一切の主観的精神を否定しようと企てた。何よりも、彼等は冷静なる客観的の態度によって、真に「科学の如く」観察し、純のレアリズムに徹底しようと考えた。そこで「主観を排せ!」が標語の第一に叫ばれた。実に彼等は、芸術が科学的没主観の態度によって、創作されることを考えたのだ。そして一切の情緒と感情とを排斥した。特に就中《なかんずく》、愛や人道やの倫理感を排斥した。それは自然主義の言語に於ける、センチメンタリズムという響の中に、無限の軽蔑《けいべつ》を以て考えられた。
こうした自然主義の文学論が、根本に於て詩と両立できないもの、否|正《まさ》しく詩の讐敵《しゅうてき》であり、詩的精神の虐殺者であることは言うまでもない。だが我々は、文学の主張について聞くことなしに、実の作品について観察しよう。何となれば芸術は、多くの場合に作品と主張とが一致せず、時に全く矛盾する場合がすくなくないから。そして自然主義の文学が、実に正しくその通りであった。例えばあのゾラを見よ。モーパッサンを見よ。ツルゲネフを見よ。果して彼等の作品に主観がないか。反対にむしろ、倫理感や宗教感が強すぎるほどではないか。すべて彼等の作品は、熱烈なる主観によって、何物かの正義を主張し、社会の因襲に対して牙《きば》をむいてる、憎悪《ぞうお》の烈《はげ》しい感情で燃焼されてる。
この不思議な矛盾した文学、自然主義について少しく語ろう。仏蘭西《フランス》十九世紀に起ったこの文学運動は、正しく浪漫派への反動であり、時代思潮の啓蒙《けいもう》運動を代表している。何よりも彼等は、浪漫派の上品な甘ったるさと、愛や人道やに惑溺《わくでき》している倫理主義を、根本的に嫌《きら》ったのである。彼等は当時の科学思潮と唯物観とを信奉して、ひとえに懐疑的態度を取り、前代浪漫派の楽天観に反対した。そしてこのニヒリスティックな人生観から、社会のあらゆる道義観や風俗に挑戦《ちょうせん》し、故意に人生の醜悪を描き、人間性の本能を高調し、隠蔽《いんぺい》されたものを引っぺがし、性の実感的|卑猥《ひわい》を書き散らした。
されば自然主義の出発点は、始めから人間主義者《ヒューマニスト》的な逆説感に立っていたので、つまり言えば「道徳に反対する道義主義」であったのだ。此処で読者は、前章に述べたことを再考されたい。前章に於て、自分は倫理的情操に於ける二種のものを説明した。即ち「愛」をモチーフとする道徳感と、「義」をモチーフとする道徳感で、前者は女性的に涙もろく、後者は男性的に反撥《はんぱつ》することを特色し、しかも両者は一つの倫理線で相対している。自然主義の倫理感は、もちろん言うまでもなく、この後のものに根拠している。彼等の意志は、浪漫派の感傷道徳に反対して、他の懐疑的な見地に於ける、別の正義感を叫んでいたのだ。それは「没道徳」の態度でなくして、正しく「反道徳」の態度であった。(前章、章尾の註を参照せよ)
こうした自然派の文学が、本質上に於て主観主義に属することは言うまでもない。それは情熱の高い、ドグマを主張する、詩的精神に充たされた文学であった。全然彼等の作物は、根本的にその主張と矛盾していた。否、彼等自身の文学論が始めから既に認識上で矛盾していた。元来芸術上の客観主義は、本質に於て観照本位の文学である故に、レアリズムの立場は必然に「芸術のための芸術」であるべき筈《はず》だ。(「生活のための芸術・芸術のための芸術」参照。)然るに自然主義は、一方で科学的没主観のレアリズムを主張しながら、しかも一方に於て「生活のための芸術」を主張していた。こうした自覚上の矛盾が、上述の如き結果になって現われたのが、即ち所謂《いわゆる》自然派の文学である。(この自然派の矛盾が、日本に於ていかに訂正されたかを後に述べる。)
要するに自然派の文学は、「主観を否定する主観主義の文学」であり、「道徳に反対する倫理主義の文学」であり、そして実に「逆説されたる詩的精神の文学」であった。もし「科学の如く」という意味が、非人間的没情熱や、冷静無私の没主観を意味するならば、自然派文学は正にその正反対のも
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