った。実に新体詩の昔から、我々はこれを忍んできた。そして恐らく、今後も尚《なお》忍ばねばならないだろう。けれども時がくる時、いつかは文壇にもイデヤが生れ、さすがに現実家なる日本人も、何かの夢を欲情する日が来るであろう。我々はその日を待とう。そしてこの新しい希望の故に、尚かつ我々の未熟な詩を書いているのだ。もしそうでなかったら、今日のような国語による、西洋まがい[#「まがい」に傍点]の無理な自由詩など作らないで、芸術としてずっと遙《はる》かに完成されたる、伝統詩形の和歌や俳句を作るだろう。我々はだれも、今日の詩が芸術としての完成さで、和歌俳句に及ばないことを知りきっている。しかし我々の求めるものは、美の完成でなくして創造であり、そして実に「芸術」よりも「詩」なのである。
詩! 我々はこの言葉の中に響く、無限に人間的な意味を知っている。そこには情熱の渇《かわき》があり、遠く音楽のように聴《きこ》えてくる、或る倫理感への陶酔がある。然《しか》り、詩は人間性の命令者で、情慾の底に燃えているヒューマニチイだ。我々はそれを欲しても欲しないでも、意志によって駆り立てられ、何かに突進せねばならなくなる。詩が導いて行くところへ直行しよう。
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* 活動写真を見る時、いつも西洋について面白く思うことは、一方に絹帽や礼服をきた紳士が居り、一方に破れ服の貧民や労働者が居ることだ。日本にはこの対照がなく、どれを見ても大同小異の階級者が、デモクラチックに均一して銀座通りを歩いている。こんな単調でつまらない社会は、おそらく世界のどこにもあるまい。
** 明治初年の日本――それは進歩思想を有する武士階級の青年によって統治された――は、近代に最も光彩ある、最も大胆自由の社会だった。彼等のロマンチックな為政者等は、一時|仏蘭西《フランス》の共和政体を日本に布《し》こうとさえ考えた。
所謂《いわゆる》プロレタリア文芸の運動は、そのあらゆる稚態と愚劣にかかわらず、本質に於て日本の文壇を正導すべき、一の純潔なヒューマニチイを有している。著者はこの点だけを彼等に買ってる。過去の白樺《しらかば》派の人道主義が、やはりこれと同様だった。すべてこれ等の文学は、未だ自然主義の懐疑時代を通過していない。無産派も白樺派も、無邪気な楽天的感激主義の文学であり、遠く浪漫主義発生前派の者に属する。し
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