人々がそれを意欲し、自覚に於て進むならば、すくなくとも吾人《ごじん》の文化と芸術とを、新しき方向に向けることができるだろう。そしてこの時、日本の文壇も世界と同じく、詩人を尊敬して見るようになるであろう。なぜならば詩の本質は主観であり、かつ元来貴族的のものである故《ゆえ》に、西洋文明の精神が潮流するところでは、詩は必然に先導に立ち、文学の一切を越えて崇敬される。然るに今日の我が文壇では、そのあまりに日本的なレアリズムから、主観が一切排斥され、そのあまりに日本的なデモクラシイから、貴族感的なるすべての精神が嫌《きら》われるため、詩は全く地位を得ることができないのだ。
 吾人はかかる文壇を軽蔑《けいべつ》しよう。詩人から文壇の方に降《お》り、彼等に巻き込まれて行くのでなく、逆に文壇を吾人の方に、詩的精神の方に高く引きあげて教育しよう。でなければ永久に、我々の文化を世界的にすることはできないだろう。そして日本が世界的に進出した時、始めて我々の国語に於て、新日本の美や音律が生れるだろう。そこでこそ、始めて我々の「芸術」が創作され、真の意味での「詩」が出来てくる。今日ある事態のものは、未だ何等の意味での文明でもなく、芸術前派の日本にすぎない。況《いわ》んや文明の花であり、国語の精華であるべき詩が、日本に現在すべき道理がない。我々はその道を造って行こう。
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我れは踏まれたる石なり
家はその上に建つべし
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「詩人」という言葉は、我々の混沌《こんとん》たる過渡期にあっては、実の芸術家を指示しないで、むしろ文明の先導に立つ、時代の勇敢なる水先案内――航海への冒険者――を指示している。新体詩の当初以来、すべての詩壇が一貫してきた道はそうであった。彼等は夢と希望に充ち、異国にあこがれ、所有しないものへの欲情から、無限の好奇心によって進出して来た。彼等は太平洋の岸辺《きしべ》に立って、大陸からの潮風が吹き送る新日本の文明を、いつも時代の尖鋭《せんえい》に於て触覚していた。そしてこの島国をあの大陸へ、潮流に乗って導こうと考えていたところの、真の夢想的なる、青春に充ちたロマンチストの一群だった。
 しかしながらこのロマンチストは、我々のあまりに現実主義的なる、あまりに夢を持たない俗物の文壇から、常に冷笑の眼で眺《なが》められ、一々侮辱されねばならなか
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