ろう。我々は世界的に出ようとして、却《かえ》って島国的に逆転された。
 日本に於ては、いつもあらゆる事情がこの通りである。例えば西洋のデモクラシイが輸入されれば、一番先にこの運動に乗り出すものは、日本人の中での最も伝統的な、最も反進歩的な文学者である。なぜなら彼等はそれによって、自分自身に於ける国粋的な、伝統的な、あまりに日本人的な卑俗感やデモクラシイやを、新思潮のジャーナリズムで色付け得るから。最近の無産派文学や社会主義やも、多分これと同様のものであるだろう。彼等の中の幾人が、果して西洋の近代思潮や資本主義を卒業しているのだろうか。思うにその大部分の連中は、彼等自身に於ける、あまりに日本人的な卑俗感とデモクラシイとで、西洋文明そのものが本質している、資本主義の貴族感を嫌《きら》っているのか。
 かくの如くして日本の文化は、過去に一つの進歩もなく発展もない。あらゆる外国からの新思潮は、却って国粋的な反動思想家に利用され、文明を前に進めずして後に引き返す。されば日本に於ては、一の新しいジャーナリズムが興る毎に、折角出来かけた新文化は破壊されて、跡には再度鎖国日本の旧文化が、続々として菌のように繁殖する。そして永久に、いつまでたってもこの状態は同じことだ。いかに? 諸君はこの退屈に我慢ができるか。これをしも腹立しく思わないのか?
 あらゆる決定的の手段は一つしかない。文明の軌道を換えることだ。吾人の車を、吾人自身の線から外ずして、先方の軌道の上に持って行くのだ。換言すれば、吾人のあまりに日本人的なレアリズムやデモクラシイやを、断然として廃棄してしまうのだ。そして同じレアリズムやデモクラシイやを、西洋文明の軌道に於ける、相対上の観念に移して行くのだ。今、何よりも我々は詩人になり、生れたる貴族にならねばならない。先ず人間として、文明情操の根柢を作っておくのだ。そして後、この一つの線路の上に、あらゆる反対矛盾する近代思潮を走らせよう。自然主義も、民衆主義も、社会主義も、またこれに衝突する他方の思潮も、かくて始めて我々の内地を走り、日本が世界的の交通に出てくるだろう。今日の事態に於けるものは、すべて島国鎖国の迷夢であり、空の空たるでたらめ[#「でたらめ」に傍点]の妄想《もうそう》にすぎないのだ。

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 新日本の世界的創造は、決してこれより他にあり得ない。もし
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