。その始めは彼等の国語も、殆ど文学的に使用できない粗野の蛮人語にすぎなかったのだ。然るに今日、我々の日用語がそれに同じく、漸く始めて文学的修辞のノミが、第一刀を加えようとしている事態にある。そこに詩としての使用に堪え得る、音律や美がないのは当然である。
されば現詩壇の低落は、詩人その人の無能でなくして、彼等の使用する口語そのものの欠陥にある。もし文章語を使用すれば、今の多くの詩人等も、決して過去の作家に劣らない詩を書くだろう。しかも彼等は、あえてその道を取ろうとしない。何故だろうか? 他なし[#「他なし」はママ]今日の詩人にとって、文章語そのものが既に過去に属し、蒼古《そうこ》として生活感のないものに属するからだ。実に文章語の有する世界は、鎖国日本の伝統のものに属して、新日本の鮮新感に触覚しない。故に今日の詩人等は、自ら口語詩の非を知りつつ、しかもあえてその危険を冒しているのだ。著者の如きもまたその不運な一人であって、自ら自己の非芸術を感じながら、しかも如何《いかん》ともすることができないのだ。
此処に於て最近の詩は、この音律美によって失うものを他の手段によって代用させ、以て漸く詩の詩たる面目を保持しようと考えている。どうするかと言うに、言語の表象する聯想《れんそう》性を利用して、詩を印象風に描き出そうというのである。即ち例えば「春が馬車に乗って通って行った」とか、「彼女はバラ色の食慾で貪《むさぼ》り食った」とか、「馬の心臓の中に港がある」とかいう類の行句であって、近時に於ける自由詩の大部分は、たいていこの種の詩句を、五行十行にわたって連続させたものである。著者はこの種の詩を称して、かつて「印象的散文」と命名した。なぜならその詩感は、何等音律からくる魅力でなくして、主として全く語意の印象的表象に存するからである。
そこで第一に問題なのは、この種の文学が果して詩であるか否かと言うことである。これに対して吾人は、その或る点を十分に承諾する。確かに、すくなくとも本質上で、これ等もまた「詩の一種」である。なぜならそれは印象を印象として描いてるのでなく、主観の感情の意味によって、それを情象している[#「情象している」に丸傍点]からである。そして情象するすべてのものは――例え音律美の全くない散文でも――吾人の新しき定義によって「詩」と認める。しかし吾人の認定は、単にその点
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