ける、特色上の相違はどこから来《きた》り、何に原因しているのだろうか。第一に不思議なことは、文章語というような特殊の言語が、どうして日本に発達したかという事である。だれも知っている通り、西洋にはこんな特殊な言語がなく、昔からすべての詩文が、日常語の修辞によって書かれている。然るに日本は、早く昔から文章語が出来、実用語と芸術語とを、判然と分けて使用していた。思うにその特殊な事情は、日本語のあまりに平板単調であるところから、表現上の屈折と力とを求めるために、古来多くの文学者によって改修され、自然に少しずつ歪《ゆが》められて、遂に全く日常語から変貌《へんぼう》した特殊のものになったのだろう。けだし芸術的精神の本質は、或る高い飛躍をもった、心を上位に引きあげるものであり、本質的に貴族感的のものであるから――すべての芸術の本質は、この点で皆|叙事詩的《エピカル》である。――芸術的表現の場合に於ては、日常語の卑俗感が不満され、必然に美と力を持つところの、より[#「より」に傍点]調子の高いものに改修される。(この点では西洋の文学も同じである。厳重に言えば、西洋でも文章語と日常語は同一でない。)
 かく日本に於ては、国語の特殊な事情から、文章語が変則の発達をして、全く日常語と異別するようになってしまった。然るにかく二つの言語が別れた以上は、表現するすべての人が文章語のみを使用する故、一方の俗語は全く芸術から除外され、爾後《じご》は全然実用語としてのみ、専門に使用されるようになってしまった。然るに言語というものは、芸術上に使用されてのみ、始めて美や含蓄やを持つのであるから、かく実用語として閑却された日本語は、久しい間何の洗練もなく発展もなく、無趣味|雑駁《ざっぱく》な俗語として、単に日常生活の所用を弁ずるだけの言語として止まっていた。
 然るに明治の末になってから、西洋の言文一致を学ぼうとして、始めてこの日常語が文章に取り込まれ、永く物置場に投げ込まれていた日本語が、急に芸術的に研《と》ぎ出される状態になってきた。しかし言文一致が始まってから、今日まだ漸《ようや》く半世紀に達しない。この短い間に、どうしてそれが芸術的に完成され得ようか。今日英語や仏蘭西《フランス》語の西欧語が、文学的に洗練された言語として輝いているのは、実に過去何世紀の永い間、それが詩文の上に使用されていたからである
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