めるために、逆に詩を散文に導く――すくなくとも散文に近くする――という、不思議な矛盾した結論に帰着している。そして実に日本の詩のジレンマが、この矛盾したところにあるのだ。何となれば吾人の国語は、正則に韻律的であるほど退屈であり、却ってより不規則になり、より散文的になるほど変化に富み、音律上の効果を高めてくるから。そこで「韻文」という言語を、かりに「音律魅力のある文」として解説すれば、日本語は散文的であるほど韻文的である[#「散文的であるほど韻文的である」に丸傍点]という、不思議なわけのわからない没論理に到達する。
しかも日本の詩の起元は、事実上にこの没論理から出発した。即ち前に言った通りに、日本詩の歴史は自由詩(不定形な散文律)に始まっている。そしてこの自由律の詩は、後代の定形された韻文に比し、一層より[#「より」に傍点]自然的で、かつ音律上の魅力に於ても優《すぐ》れている。すくなくとも原始の詩は、後代の退屈な長歌等に比し、音律上で遙《はる》かに緊張した美をもっている。けだし原始の自由律は、日本語の本然的な発想であったのに、後代の定形律は、支那の模倣でないとしても、多少|或《あるい》は不自然の拘束であったように、今日から推測され得るところがあるからだ。しかしこの議論は別としよう。とにかく日本語の音律を以てして、短歌俳句以上の長い詩を欲するならば、いかにしても散文律の自由詩に行く外、断じて他に手段はないのである。
此処に於て吾人は、日本詩壇に於ける最近の自由詩が、いつ如何《いか》にして始まったかを、当初の歴史について調べてみよう。現代詩壇に於ける自由詩は、その始め、実に新体詩から解体して、次第に済《な》し崩《くず》しになったのである。即ちあの新体詩が、反復律の退屈から漸《ようや》く人々に倦かれてきた時、薄田泣菫《すすきだきゅうきん》その他の詩人が、これに音律の変化と工夫を求めるため、六四、八六等の破調を加え、次第に複雑にして遂に蒲原有明《かんばらありあけ》等に至ったのである。故に日本に於ける自由詩の発生は、欧洲に於けるそれと全く事情を異にしており、むしろ正反対であることが解るだろう。欧洲の自由詩は、高蹈派等のクラシカルな形式主義に反抗して、音律の自由と解放とを求めるために興ったのである。然るに日本は反対であり、却って新体詩の単調に不満し、音律の複雑と変化を求めるた
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