しかつたかと思はれるいゝ年輩の女に奧へ通されて待つてゐると、今向ふむきに立つてゐた人が入つて來た。それが簑村文學士だつた。言葉の調子も、身體も重さうな人であつた。
 この文學士は作を選する時の苦心を話した。その原稿が文學士の手許にあつた時、夏の暴風雨と大水に出逢つてすつかり濡らして了ふところだつたのを、文學士の夫人が氣にかけて持ち出したといふ事だつた。その時崖くづれで家が破壞された爲この家へ移つたのださうであつた。
「あれを讀んだ初めはそんなに好いとも思ひませんでしたが中頃から面白いと思ひだした。けれどもね、百點をつけるといふ譯にはいかないと思つてゐると、家へ有野《ありの》といふ男がくる。それに話をすると其れぢや折角の此方《こつち》の主意が通らないといけないから百二十點もつけておけといふんでせう。有野は自分に責任がないからそんな無茶な事をいふけれども私にはまさか然うもゆかない。それで思ひ切つてあなたの點と他の人の點を二三十も違はしておいた。他の選者の點の盛りかたを見るとあなたは危ない方でしたね。」
 文學士は、この女の機運は全く自分の手にあつたのだといふ樣な今更な顏をしてみのるを眺めた
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