事は何うしてもみのるの仕事であつた。みのるの藝術は何うしてもみのるの藝術であつた。みのるは自分の力を自分で見付けて動きだしたのだ。義男はそれに口を挿むことは出來なかつた。義男は然う思つた時、この女から一と足一と足に取り殘されてゆくやうな不安な感じを味はつた。

 ある時この二人の許へ訪ねて來た男があつた。これは義男と同郷の男で帝國大學の文科生であつた。この男の口からみのるは何日《いつか》の自分の作を選した眞實《ほんたう》のもう一人を知つた。それは簑村といふ新らしい作家であつた。新聞に發表されてゐた選者の一人は病氣であつた爲、その人の門下のやうになつてゐる簑村文學士が代選したのだといふ事がこの男を通じて分つた。この大學生は簑村文學士に私淑してゐる男であつた。
 みのるはそれから間もなくこの大學生に連れられて簑村文學士をたづねた。その人の家は神樂坂の上にあつた。
 其の家へ入つた時、みのるは上り口の薄暗い座敷の中で箪笥の前に向ふむきに立つてゐる男を見た。初めて來た客を奧へ通すまで其所に隱れて待つてゐる樣な容態があつた。その障子が開いてゐたのでみのるの方からすつかり見えた。
 昔はどんなに美
前へ 次へ
全84ページ中79ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田村 俊子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング