めたものはこの小犬であつた。みのるは思はず涙がこぼれた。
「あなたに別れるよりもメエイに別れる方が悲しい。妙だわね。」
 みのるは戯談《じようだん》らしい口吻《くちぶり》を見せてから、いつまでも泣いてゐた。

       十三

 みのるは一旦母親の手許へ歸る事になつた。義男はあるだけの物を賣り拂つて一時下宿屋生活をする事に定めてしまつた。
 こゝまで引つ張つて來てから、ふとこの二人を揶揄《からか》ふやうな運命の手が思ひがけない幸福をすとん[#「すとん」に傍点]と二人の頭上に落してきた。それは、この夏の始めに義男が無理に書かしたみのるの原稿が、選の上で當つたのであつた。
 それは、十一月の半ばであつた。外は晴れてゐた。みのるが朝の臺所の用事を爲てゐる時に、この幸福の知らせをもたらした人が來た。
 その人は二階でみのるに話をした。その人が歸つてしまつてから二人は奧の座敷で少時《しばらく》顏を見合せながら坐つてゐた。
「本當にあたつたのかしら。」
 義男は力のない調子で斯う云つた。
 みのるの手に百圓の紙幣《さつ》が十枚載せられたのはそれから五日と經たないうちであつた。二人の上に癌腫の樣
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