?」
「大丈夫よ。」
 嵩張つた包みが二人の間から取れて、輕い紙幣が女のコートの衣兜《かくし》に殘つたといふ事が、二人を浮世の人間並みらしい感じに戻らせた。つい眼の前をのろ/\と横切つて行く雫を垂らした馬鹿氣て大きな電車を遣り過ごす間《うち》、今まで何所かへ押やられてゐた二人の間の親しみの義務を、この間《ま》にお互の中に取り戻しておかなくてはならないといふ樣な顏付きで、みのるは男の顏を見詰めてわざと笑つた。
「なんでもいゝや。」
 義男も腮《あご》の先きを片手で擦《こす》りながら笑つて云つた。けれども義男の眼にはみのるの笑顏が底を含んでるやうな鋭い影を走らしてゐたと思つていやな氣がしたのであつた。
「寒くつて。何か飮まなくちや堪らないわ。」
 みのるは義男の先きになつて歩いた。向側を見ると何の店先も雨に曇つて灯が濡れしほたれてゐた。番傘が通りの灯影を遮つてゆく――泥濘《ぬかるみ》の路に人の下駄の跡や車の轍の跡をぼち/\と光りを帶たはね[#「はね」に傍点]が飛んでゐた。
 二人は區役所の前の小さい洋食屋へ入つて行つた。
 室には一人も客はなかつた。鏡の前に行つて顏を映して見たみのるは、義
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