井が頸元《えりもと》の寒そうな風をして入つて來る事もあつた。お互の挨拶の息が冷めたい空氣にかぢかんでる樣な朝が多くなつてゐた。
行田も酒井もいつも朝早く定めた時刻までには出て來てゐた。そうして怠けた俳優たちがうそ/\集つてくるまで、二人は無駄な時間を空に費してゐる事が毎日の樣であつた。藝術的の氣分に緊張してゐるこの二人と、旅藝人のやうに荒んだ、統一のない不貞《ふて》た俳優たちとの間にはいつもこぢれ[#「こぢれ」に傍点]た紛雜《ふんさつ》[#ルビの「ふんさつ」はママ]が流れてゐた。酒井は殊にぽん/\と怒つて、藝人根性の主張をやめないその俳優たちを表面から責めたりした。酒井の譯したピネロの喜劇は全部この不統一な俳優たちの手で演じられる事になつてゐた。その稽古が少しもつまないと云つて、酒井は「ちつとも藝術品になつてゐない。然うてん/″\ばら/\では仕方がない。」と云つて一人でぢり/\してゐた。
けれども演劇で飯を食べてるこの連中は、酒井などから一々臺詞にまで口を入れられる事に就いて、明らかな惡感《あくかん》を持つてゐた。俳優たちは沈默の反抗をそのふところ手の袖に見せて、酒井の小言の前で氣
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