てゐると、義男は氣が氣ではなかつた。平氣な顏をして、何所か遠いところに引つ掛つてゐる望みの影を目をはつきりと開いて見据えてる樣なみのるの樣子を、義男は傍で見てゐるに堪《こら》へられない日があつた。
「舞臺の上が拙《まづ》くつてみつともなければ、僕はもう決して社へは出ないからな、君の遣りかた一とつで何も彼も失つてしまうんだからそのつもりでゐたまへ。」
 それを聞くとみのるは義男の小さな世間への虚榮をはつきりと見せられた樣になつて不快《いや》な氣がした。何故この男は斯う信實がないのだらうと思つた。少しも自分の藝術に向つての熱を一所になつて汲んでくれる事を知らないのだと思つて腹が立つた。そうしてその小さな深みのない男の顏をわざと冷淡に眺めたりした。
「ぢや別れたらいゝぢやありませんか。然うすりやあなたが私の爲に耻ぢを掻かなくつても濟むでせう。」
 こんな言葉が今度は女の方から出たけれども今の義男はそれ程の角《かど》を持つてゐなかつた。女が派出な舞臺へ出るといふ事に、女へ對するある淺薄《あさはか》な興味をつないで見る氣にもなつてゐた。
「君にそれだけの自信があればいゝさ。」
 義男は然う云つて
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