多くの時間みのるの机の前に光つてゐた。みのるはそれを恐れながら無暗《むやみ》と書いて行つた。蚊帳の中にランプと机とを持ち込んで暫時《しばらく》死んだ樣に仰向に倒れてゐてから、急に起き上つて書く事もあつた。朝から夕まで家の中に射し込んでゐる夏の日光を、みのるは彼方此方《あちこち》と逃げ廻りながら隅の壁のところに行つてその頭をさん/″\打つ突けてから又書き出す事もあつた。
さうして出來上つたのが締切りの最後の日の午後であつた。義男はそれにみのるの名を書き入れてやつて、小包にしてから自分で郵便局へ持つて行つた。みのるはその汗になつた薄藍地の浴衣の袂で顏を拭ひながら、この十餘日の間の自分を振返つて見た。男の姿に追ひ使はれた筆《ペン》の先きには、自分の考へてゐる樣な美しい藝術の影なぞは少しも見られなかつた。唯男の處刑を恐れた暗雲《やみくも》の力ばかりであつた。そのやみくもな非藝術な力ばかりで自分の手には何が出來たらう。然う思ふとみのるは失望しずにはゐられなかつた。
それは八月の半ばを過ぎてからであつた。ある朝その日の新聞の上に、ふとみのるの、心にとまつた記事があつた。
みのるは義男が勤めに
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