の影のやうに見えてゐた。
二人が生活の爲の職業も見付からず、文學者としての自分の小さい權威も、何年か間《かん》の世間との約束からだん/\紛《はぐ》れて了つた事が義男にはいくら考へても情けなかつた。そうして自分の多年の仕事に背向いてゆく世間が憎いと一所に、その背向いた中の一人がみのるだつたと云ふ事にも腹が立つた。一人が一人に向つて石を抛《なげう》てば相手の女は抛つた方へその心を媚びさせて行くのだと思ふと、義男はあらゆる言葉で目の前の女を罵り盡しても足りない氣がした。義男はさつきのみのるの冷笑がその胸の眞中《まんなか》を鋭い齒と齒の間にしつかりと噛《くは》へ込んでる樣に離れなかつた。
「君はよくそんな下らない人間と一所にゐられるね。價値のない男をよく自分の良人だなんて云つてゐられるね。馬鹿にしてる男のまへでよく笑つた顏をして濟ましてゐられる。君は賣女より輕薄な女だ。」
義男は斯う云ひ續けてずん/″\歩いて行つた。みのるは默つて後から隨いて行つた。みのるの着物の裾はすつかり濡れて、足袋と下駄の臺のうしろにぴつたり密着《くつつ》いては歩行《あゆみ》のあがきを惡るくしてゐた。早い足の義男には
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