が中心であるから外来語でもほっておけば完全に同化されてしまう。また社会民衆は賢明であるから不用な外来語は時の経過と共に廃滅する。こういうのである。この言語学上の事実は私もある程度において認めはするが、この事実を理由として外来語の統制に反対する自由主義の立場に賛意を表することは私にはできない。
日本語を欧米の侵入に対して防禦することを私は現代の日本人の課題の一つと考えたい。満洲へ軍隊を送るばかりが国防ではない。挙国一致して日本語の国民性を擁護すべきであろう。故松田文相の外来語排撃の旗印は文教の府の首班として確かに卓見であった。我々はしかし文部省あたりの調査や審議に任せて安心しているわけにはゆかない。外来語の整理、統制の問題はかくべつ調査や審議を要する問題ではない。要はただ実行にある。社会民衆の恣意《しい》に任せて安堵《あんど》しているのも間違っている。民衆は賢明なところもあるが愚昧《ぐまい》なところもある。用もないのにむやみに外来語を使いたがる稚気と、僅《わずか》ばかりの外国語の知識をやたらにふりまわしたがる衒気《げんき》とが民衆にないとは決していえない。
映画アーベントなどという広
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