の晩、寐ながらこんなことを考えた。偶然の戯れだな。継起的偶然という奴だな。「かれいの贈物」という同一の事項が偶然に継起的に繰返されたのだ。時間内で継起して、しかも互いに独立して両者の生起になんらの必然的関係がないから偶然なのだ。しかし必然的関係は皆無だとはいえない。一方には山崎と自分、他方には自分と敏子という好意的相関者が二組ある。好意的な相関関係は贈物という具体的な形で物を言う場合がある。今は冬で鰈のしゅんだ。それだから贈物として別々の場合に同じ鰈が選ばれたのだ。偶然ではあるがそこになんらの必然性がないではない。しかし厳密な必然性ではない。相当程度の可能性とでもいうべきだ。
村上はまたこんなことも考えた。山崎の誤解はいかにも無理がない自然な誤解だ。自分が山崎であってもきっとあの通りの誤解をするにきまっている。だが誤解にはちがいない。どういう順序の誤解なのか。なんとか数学の式で出てきそうなものだな。山崎をaとして自分をbとしたらどうなるか。bがaから物を貰ったのだから a∧b としよう。それから敏子をxとすれば b∧x だ。それでどうなるか? それだから a∧x ということになる。こ
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