ウ性を強く主張することができたのである。もし建築が形状上に二元的対立を強烈に主張し、しかも派手な色彩を愛用するならば、ロシアの室内装飾に見るごとき一種の野暮に陥ってしまうほかはない。採光法、照明法も材料の色彩と同じ精神で働かなければならぬ。四畳半の採光は光線の強烈を求むべきではない。外界よりの光を庇《ひさし》、袖垣《そでがき》、または庭の木立《こだち》で適宜に遮断《しゃだん》することを要する。夜間の照明も強い灯光を用いてはならぬ。この条件に最も適合したものは行灯《あんどん》であった。機械文明は電灯に半透明の硝子《ガラス》を用いるか、或いは間接照明法として反射光線を利用するかによってこの目的を達しようとする。いわゆる「青い灯《ひ》、赤い灯」は必ずしも「いき」の条件には適しない。「いき」な空間に漂う光は「たそや行灯」の淡い色たるを要する。そうして魂の底に沈んで、ほのかに「たが袖」の薫《かおり》を嗅《か》がせなければならぬ。
要するに、建築上の「いき」は、一方に「いき」の質料因たる二元性を材料の相違と区劃の仕方に示し、他方にその形相因たる非現実的理想性を主として材料の色彩と採光照明の方法と
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