sあかぬけ》した色気を表現しているからである。
 第三に、青系統の色は何故《なにゆえ》「いき」であるか。まず一般に飽和の減少していない鮮やかな色調としていかなる色が「いき」であるかということを考えてみるに、何らかの意味で黒味に適するような色調でなければならぬ。黒味に適する色とはいかなる色かというに、プールキンエの現象によって夕暮に適合する色よりほかには考えられない。赤、橙、黄は網膜《もうまく》の暗順応《あんじゅんのう》に添おうとしない色である。黒味を帯びてゆく[#底本の親本では「黒味を帯びゆく」とある]心には失われ行く色である。それに反して、緑、青、菫《すみれ》は魂の薄明視《はくめいし》に未だ残っている色である。それ故に、色調のみについていえば、赤、黄などいわゆる異化作用の色よりも、緑、青など同化作用の色の方が「いき」であるといい得る。また、赤系統の温色よりも、青中心の冷色の方が「いき」であるといっても差支ない。したがって紺や藍は「いき」であることができる。紫のうちでは赤|勝《がち》の京紫よりも、青勝の江戸紫の方が「いき」と看做《みな》される。青より緑の方へ接近した色は「いき」であるた
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