現象としての「いき」、理想性と非現実性とによって自己の存在を実現する媚態としての「いき」を定義して「垢抜して[#「垢抜して」に傍点](諦)、張のある[#「張のある」に傍点](意気地)、色っぽさ[#「色っぽさ」に傍点](媚態)」ということができないであろうか。
{1}『春色辰巳園《しゅんしょくたつみのその》』巻之七に「さぞ意気な年増《としま》になるだらうと思ふと、今ツから楽しみだわ」という言葉がある。また『春色梅暦《しゅんしょくうめごよみ》』巻之二に「素顔の意気な中年増《ちゅうどしま》」ということもある。また同書巻之一に「意気な美しいおかみさんが居ると言ひましたから、それぢやア違ツたかと思つて、猶《なお》くはしく聞いたれば、おまはんの年よりおかみさんの方が、年うへのやうだといひますし云々」の言葉があるが、すなわち、ここでは「いき」と形容されている女は、男よりも年上である。一般に「いき」は知見を含むもので、したがって「年の功」を前提としている。「いき」の所有者は、「垢のぬけたる苦労人」でなければならない。
{2}我々が問題を見ている地平にあっては、「いき」と「粋《すい》」とを同一の意
前へ
次へ
全114ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
九鬼 周造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング