いることも事実である。しからば「いき」という語は各国語のうちに見出《みいだ》されるという普遍性を備えたものであろうか。我々はまずそれを調べてみなければならない。そうして、もし「いき」という語がわが国語にのみ存するものであるとしたならば、「いき」は特殊の民族性をもった意味であることになる。しからば特殊な民族性をもった意味、すなわち特殊の文化存在はいかなる方法論的態度をもって取扱わるべきものであろうか。「いき」の構造を明らかにする前に我々はこれらの先決問題に答えなければならぬ。
 まず一般に言語というものは民族といかなる関係を有するものか。言語の内容たる意味と民族存在とはいかなる関係に立つか。意味の妥当問題は意味の存在問題を無用になし得るものではない。否《いな》、往々、存在問題の方が原本的である。我々はまず与えられた具体から出発しなければならない。我々に直接に与えられているものは「我々」である。また我々の綜合と考えられる「民族」である。そうして民族の存在様態は、その民族にとって核心的のものである場合に、一定の「意味」として現われてくる。また、その一定の意味は「言語」によって通路を開く。それ
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