昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。
 生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟《ひっきょう》わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。

  昭和五年十月
[#地から2字上げ]著者

[#改ページ、ページの左右中央に]

       目  次

     一 序  説
     二 「いき」の内包的構造
     三 「いき」の外延的構造
     四 「いき」の自然的表現
     五 「いき」の芸術的表現
     六 結  論

[#改丁]


     一 序  説

 「いき」という現象はいかなる構造をもっているか。まず我々は、いかなる方法によって「いき」の構造を闡明《せんめい》し、「いき」の存在を把握することができるであろうか。「いき」が一の意味を構成していることはいうまでもない。また「いき」が言語として成立して
前へ 次へ
全114ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
九鬼 周造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング