ウ性を強く主張することができたのである。もし建築が形状上に二元的対立を強烈に主張し、しかも派手な色彩を愛用するならば、ロシアの室内装飾に見るごとき一種の野暮に陥ってしまうほかはない。採光法、照明法も材料の色彩と同じ精神で働かなければならぬ。四畳半の採光は光線の強烈を求むべきではない。外界よりの光を庇《ひさし》、袖垣《そでがき》、または庭の木立《こだち》で適宜に遮断《しゃだん》することを要する。夜間の照明も強い灯光を用いてはならぬ。この条件に最も適合したものは行灯《あんどん》であった。機械文明は電灯に半透明の硝子《ガラス》を用いるか、或いは間接照明法として反射光線を利用するかによってこの目的を達しようとする。いわゆる「青い灯《ひ》、赤い灯」は必ずしも「いき」の条件には適しない。「いき」な空間に漂う光は「たそや行灯」の淡い色たるを要する。そうして魂の底に沈んで、ほのかに「たが袖」の薫《かおり》を嗅《か》がせなければならぬ。
 要するに、建築上の「いき」は、一方に「いき」の質料因たる二元性を材料の相違と区劃の仕方に示し、他方にその形相因たる非現実的理想性を主として材料の色彩と採光照明の方法とに表わしている。
 建築は凝結した音楽といわれているが、音楽を流動する建築と呼ぶこともできる。しからば自由芸術たる音楽[#「音楽」に傍点]の「いき」はいかなる形において表われているか。まず田辺尚雄《たなべひさお》氏の論文「日本音楽の理論附粋の研究{4}」によれば、音楽上の「いき」は旋律《せんりつ》とリズムの二方面に表われている。旋律の規範としての音階は、わが国には都節《みやこぶし》音階と田舎節《いなかぶし》音階との二種あるが、前者は技巧的音楽のほとんど全部を支配する律旋法として主要のものである。そうして、仮りに平調《ひょうじょう》を以て宮音《きゅうおん》とすれば、都節音階は次のような構造をもっている。
  平調―壱越《いちこつ》(または神仙)―盤渉《ばんしき》―黄鐘《おうしき》―双調《そうじょう》(または勝絶《しょうせつ》)―平調
この音階にあって宮音たる平調と、徴音《ちおん》たる盤渉とは、主要なる契機として常に整然たる関係を保持している。それに反して、他の各音は実際にあっては理論と必ずしも一致しない。理論的関係に対して多少の差異を示している。すなわち理想体に対して一定の変位を来たしている。そうして「いき」は正《まさ》にこの変位の或る度合に依存するものであって、変位が小に過ぐれば「上品」の感を生じ、大に過ぐれば「下品」の感を生ずる。たとえば、上行して盤渉より壱越を経て平調に至る旋律にあって、実際上の壱越は理論上の高さよりもやや低いのである。かつその変位の程度は長唄《ながうた》においてはさほど大でないが、清元《きよもと》および歌沢《うたざわ》においては四分の三全音にも及ぶことがあり、野卑な端唄《はうた》などにては一全音を越えることがある。また同じ長唄だけについていえば、物語体のところにはこの変位少なく、「いき」な箇所[#「箇所」は底本では「筒所」と誤記]には変位が大である。そうして変位があまり大に過ぐるときは下品の感を起させる。なおこの関係は、勝絶より黄鐘を経て盤渉に至るときの黄鐘にも、平調より双調を経て黄鐘に至るときの双調にも現われる。また平調より神仙を経て盤渉に至る旋律の下行運動にあっても、神仙の位置に同様の関係が見られる。
 リズムについていえば、伴奏器楽がリズムを明示し、唄《うた》はそれによってリズム性を保有するのであるが、わが国の音楽では多くの場合において唄のリズムと伴奏器楽のリズムとが一致せず、両者間に多少の変位が存在するのである。長唄において「せりふ」に三絃《さんげん》を附したところでは両者のリズムが一致している。その他でも両者のリズムの一致している場合には、多くは単調を感ぜしめる。「いき」な音曲においては変位は多く一リズムの四分の一に近い。
 以上は田辺氏の説であるが、要するに旋律上の「いき」は、音階の理想体の一元的|平衡《へいこう》を打破して、変位の形で二元性を措定《そてい》することに存する。二元性の措定によって緊張が生じ、そうしてその緊張が「いき」の質料因たる「色っぽさ」の表現となるのである。また、変位の程度が大に過ぎず四分の三全音くらいで自己に拘束《こうそく》を与えるところに「いき」の形相因が客観化されているのである。リズム上の「いき」も同様で、一方に唄と三絃との一元的平衡を破って二元性が措定され、他方にその変位が一定の度を越えないところに、「いき」の質料因と形相因とが客観的表現を取っているのである。
 なお楽曲の形にも「いき」が一定の条件を備えて現われているように思う。顕著に高い音をもって突如として始まって、下向的進行によっ
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