ト次第に低い音に推移するような楽節が、幾つか繰返された場合は多く「いき」である。例えば歌沢の「新紫《にいむらさき》」のうちの「紫のゆかりに」のところはそういう形をもっている。すなわち、「ムラサキ。ノ。ユカリ。ニ」と四節に分かれて、各節は急突に高い音から始まり、下向的進行をしている。また「音にほだされし縁の糸」のところも同様に「ネニホ。ダ。サレ。シ。エンノ。イト」と六節に分けて見られる。また例えば、清元の「十六夜清心《いざよいせいしん》」のうちの「梅見帰りの船の唄、忍ぶなら忍ぶなら、闇の夜は置かしやんせ」のところも同様の形をもっている。すなわち、「ウメミ。ガヘリノ。フネノウタ。シノブナラ。シノブナラ。ヤミノ。ヨハオカシヤンセ」と七節に分けて考えることができる。そうしてこの場合に、かような楽曲が「いき」の表現であり得る可能性は、一方に各節の起首の高音が先行の低音に対して顕著な色っぽい二元性を示していることと、他方に各節とも下向的進行によって漸消状態のさびしさをもっていることとに懸《かか》っている。また起首の示す二元性と、全節の下向的進行との関係は、あたかも「いき」な模様における、縞柄《しまがら》と、くすんだ色彩との関係のごときものである。
かくのごとくして、意識現象としての「いき」の客観的表現の芸術形式は、平面的な模様および立体的な建築において空間的発表をなし、無形的な音楽において時間的発表をなしているが、その発表はいずれの場合においても、一方に二元性の措定と、他方にその措定の仕方に伴う一定の性格とを示している。更にまたこの芸術形式と自然形式とを比較するに、両者間にも否《いな》むべからざる一致が存している。そうして、この芸術形式および自然形式は、常に意識現象としての「いき」の客観的表現として理解することができる。すなわち、客観的に見られる二元性措定は意識現象としての「いき」の質料因たる「媚態」に基礎を有し、措定の仕方に伴う一定の性格はその形相因たる「意気地《いきじ》」と「諦《あきら》め」とに基礎をもっている。かくして我々は「いき」の客観的表現を、意識現象としての「いき」に還元し、両存在様態の相互関係を明瞭にするとともに、意味としての「いき」の構造を闡明《せんめい》したと信ずるのである。
{1}Dessoir, Aesthetik und allgemeine Kunstwissenschaft, 1923, S. 361 参照。
{2}「美的小」の概念に関しては Lipps, Aesthetik, 1914, I, S. 574 参照。
{3}米国国旗や理髪店の看板が縞模様でありながら何らの「いき」をももっていないのは、他にも理由があろうが、主として色彩が派手であることに起因している。婦人用の烟管《きせる》の吸口と雁首《がんくび》に附けた金具に、銀と赤銅《しゃくどう》とを用いて、銀白色の帯青灰色との横縞を見せているのがある。形状上では理髪店の看板とほとんど違わないが、色彩の効果によって「いき」な印象を与える。
{4}『哲学雑誌』、第二十四巻、第二百六十四号所載。
[#改ページ]
六 結 論
「いき」の存在を理解しその構造を闡明《せんめい》するに当って、方法論的考察として予《あらかじ》め意味体験の具体的|把握《はあく》を期した。しかし、すべての思索の必然的制約として、概念的分析によるのほかはなかった。しかるに他方において、個人の特殊の体験と同様に民族の特殊の体験は、たとえ一定の意味として成立している場合にも、概念的分析によっては残余なきまで完全に言表されるものではない。具体性に富んだ意味は厳密には悟得の形で味会されるのである。メーヌ・ドゥ・ビランは、生来の盲人に色彩の何たるかを説明すべき方法がないと同様に、生来の不随者として自発的動作をしたことのない者に努力の何たるかを言語をもって悟らしむる方法はないといっている{1}。我々は趣味としての意味体験についてもおそらく一層述語的に同様のことをいい得る。「趣味」はまず体験として「味わう」ことに始まる。我々は文字通りに「味を覚える」。更に、覚えた味を基礎として価値判断を下す。しかし味覚が純粋の味覚である場合はむしろ少ない。「味なもの」とは味覚自身のほかに嗅覚《きゅうかく》によって嗅《か》ぎ分けるところの一種の匂《におい》を暗示する。捉《とら》えがたいほのかなかおりを予想する。のみならず、しばしば触覚も加わっている。味のうちには舌ざわりが含まれている。そうして「さわり」とは心の糸に触れる、言うに言えない動きである。この味覚と嗅覚と触覚とが原本的意味における「体験」を形成する。いわゆる高等感覚は遠官として発達し、物と自己とを分離して、物を客観的に自己に対立させる。
前へ
次へ
全29ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
九鬼 周造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング