「いき」の構造
九鬼周造

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)畢竟《ひっきょう》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一見|相容《あいい》れない

[#]:入力者注。傍点や外字、ギリシャ語のアクセント記号の位置などを示す
(例)[#横組みで、ページの上部、左右中央に]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)大好《だいすき》/\

{}:原注
底本では原注の数字を()で囲んでいるが、読みやすさを考え{}に変えた

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html

−−

[#横組みで、ページの上部、左右中央に]
〔La pense'e doit remplir toute l'existence〕.
MAINE DE BIRAN, Journal intime.
[#改ページ、ページの左右中央に]

     序

 この書は雑誌『思想』第九十二号および第九十三号(昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。
 生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟《ひっきょう》わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。

  昭和五年十月
[#地から2字上げ]著者

[#改ページ、ページの左右中央に]

       目  次

     一 序  説
     二 「いき」の内包的構造
     三 「いき」の外延的構造
     四 「いき」の自然的表現
     五 「いき」の芸術的表現
     六 結  論

[#改丁]


     一 序  説

 「いき」という現象はいかなる構造をもっているか。まず我々は、いかなる方法によって「いき」の構造を闡明《せんめい》し、「いき」の存在を把握することができるであろうか。「いき」が一の意味を構成していることはいうまでもない。また「いき」が言語として成立していることも事実である。しからば「いき」という語は各国語のうちに見出《みいだ》されるという普遍性を備えたものであろうか。我々はまずそれを調べてみなければならない。そうして、もし「いき」という語がわが国語にのみ存するものであるとしたならば、「いき」は特殊の民族性をもった意味であることになる。しからば特殊な民族性をもった意味、すなわち特殊の文化存在はいかなる方法論的態度をもって取扱わるべきものであろうか。「いき」の構造を明らかにする前に我々はこれらの先決問題に答えなければならぬ。
 まず一般に言語というものは民族といかなる関係を有するものか。言語の内容たる意味と民族存在とはいかなる関係に立つか。意味の妥当問題は意味の存在問題を無用になし得るものではない。否《いな》、往々、存在問題の方が原本的である。我々はまず与えられた具体から出発しなければならない。我々に直接に与えられているものは「我々」である。また我々の綜合と考えられる「民族」である。そうして民族の存在様態は、その民族にとって核心的のものである場合に、一定の「意味」として現われてくる。また、その一定の意味は「言語」によって通路を開く。それ故に一の意味または言語は、一民族の過去および現在の存在様態の自己表明、歴史を有する特殊の文化の自己開示にほかならない。したがって、意味および言語と民族の意識的存在との関係は、前者が集合して後者を形成するのではなくて、民族の生きた存在が意味および言語を創造するのである。両者の関係は、部分が全体に先立つ機械的構成関係ではなくて、全体が部分を規定する有機的構成関係を示している。それ故に、一民族の有する或る具体的意味または言語は、その民族の存在の表明として、民族の体験の特殊な色合《いろあい》を帯びていないはずはない。
 もとより、いわゆる自然現象に属する意味および言語は大なる普遍性をもっている。しかもなお、その普遍性たるや決して絶対的のものではない。例えばフランス語の ciel とか bois とかいう語を英語の sky, wood 、ドイツ語の Himmel, Wald と比較する場合に、その意味内容は必ずしも全然同一のものではない。これはその国土に住んだことのある者は誰しも直ちに了解することである。Le ciel est triste et beau の ciel と、 What shap
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