@なお幾何学的模様に対して絵画的模様なるものは決して「いき」ではない。「金銀にて蝶々《ちょうちょう》を縫《ぬ》ひし野暮なる半襟《はんえり》をかけ」と『春告鳥』にもある。三筋の糸を垂直に場面の上から下まで描き、その側に三筋の柳の枝を垂らし、糸の下部に三味線《しゃみせん》の撥《ばち》を添え、柳の枝には桜の花を三つばかり交えた模様を見たことがある。描かれた内容自身から、また平行線の応用から推《お》して「いき」な模様でありそうであるが、実際の印象は何ら「いき」なところのない極めて上品なものであった。絵画的模様はその性質上、二元性をすっきりと言表わすという可能性を、幾何学的模様ほどにはもっていない。絵画的模様が模様として「いき」であり得ない理由はその点に存している。光琳《こうりん》模様、光悦《こうえつ》模様などが「いき」でないわけも主としてこの点によっている。「いき」が模様として客観化されるのは幾何学的模様のうちにおいてである。また幾何学的模様が真の意味の模様である。すなわち、現実界の具体的表象に規定されないで、自由に形式を創造する自由芸術の意味は、模様としては、幾何学的模様にのみ存している。
模様の形式は形状のほかになお色彩の方面をもっている。碁盤縞が市松《いちまつ》模様となるのは碁盤の目が二種の異なった色彩によって交互に充填《じゅうてん》されるからである。しからば模様のもつ色彩はいかなる場合に「いき」であるか。まず、西鶴《さいかく》のいわゆる「十二色のたたみ帯」、だんだら染、友禅染《ゆうぜんぞめ》など元禄時代に起ったものに見られるようなあまり雑多な色取《いろどり》をもつことは「いき」ではない。形状と色彩との関係は、色調を異にした二色または三色の対比作用によって形状上の二元性を色彩上にも言表わすか、または一色の濃淡の差あるいは一定の飽和度《ほうわど》における一色が形状上の二元的対立に特殊な情調を与える役を演ずるかである。しからばその際用いられる色はいかなる色であるかというに、「いき」を表わすのは決して派手な色ではあり得ない{3}。「いき」の表現として色彩は二元性を低声に主張するものでなければならぬ。『春色恋白浪《しゅんしょくこいのしらなみ》』に「鼠色[#「鼠色」に傍点]の御召縮緬《おめしちりめん》に黄柄茶[#「黄柄茶」に傍点]の糸を以て細く小さく碁盤格子を織|出《いだ》し
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