スる上着、……帯は古風な本国織《ほんごくおり》に紺[#「紺」に傍点]|博多《はかた》の独鈷《とっこ》なし媚茶[#「媚茶」に傍点]の二本筋を織たるとを腹合せに縫ひたるを結び、……衣裳《いしょう》の袖口《そでぐち》は上着下着ともに松葉色[#「松葉色」に傍点]の様なる御納戸[#「御納戸」に傍点]の繻子《しゅす》を付け仕立も念を入《いれ》て申分なく」という描写がある。このうちに出てくる色彩は三つの系統に属している。すなわち、第一に鼠色、第二に褐色系統の黄柄茶《きがらちゃ》と媚茶《こびちゃ》、第三に青系統の紺《こん》と御納戸《おなんど》とである。また『春告鳥』に「御納戸[#「御納戸」に傍点]と媚茶[#「媚茶」に傍点]と鼠色[#「鼠色」に傍点]の染分けにせし、五分ほどの手綱染《たづなぞめ》の前垂《まえだれ》」その他のことを叙した後に「意気なこしらへで御座いませう」といってある。「いき」な色彩とは、まず灰色、褐色、青色の三系統のいずれにか属するものと考えて差支ないであろう。
 第一に、鼠色は「深川《ふかがわ》ねずみ辰巳《たつみ》ふう」といわれるように「いき」なものである。鼠色、すなわち灰色は白から黒に推移する無色感覚の段階である。そうして、色彩感覚のすべての色調が飽和の度を減じた究極は灰色になってしまう。灰色は飽和度の減少、すなわち色の淡さそのものを表わしている光覚である。「いき」のうちの「諦《あきら》め」を色彩として表わせば灰色ほど適切なものはほかにない。それ故に灰色は江戸時代から深川鼠、銀鼠《ぎんねず》、藍鼠《あいねず》、漆鼠《うるしねず》、紅掛鼠《べにかけねず》など種々のニュアンスにおいて「いき」な色として貴ばれた。もとより色彩だけを抽象して考える場合には、灰色はあまりに「色気」がなくて「いき」の媚態《びたい》を表わし得ないであろう。メフィストの言うように「生」に背《そむ》いた「理論」の色に過ぎないかもしれぬ。しかし具体的な模様においては、灰色は必ず二元性を主張する形状に伴っている。そうしてその場合、多くは形状が「いき」の質料因たる二元的媚態を表わし、灰色が形相因たる理想主義的非現実性を表わしているのである。
 第二に、褐色すなわち茶色ほど「いき」として好まれる色はほかにないであろう。「思ひそめ茶の江戸褄《えどづま》に」という言葉にも表われている。また茶色は種々の色調に応じ
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