の野暮さと絶縁することを予件としている。
 なお一般に顔の粧《よそお》いに関しては、薄化粧[#「薄化粧」に傍点]が「いき」の表現と考えられる。江戸時代には京阪の女は濃艶な厚化粧《あつげしょう》を施したが、江戸ではそれを野暮と卑《いや》しんだ。江戸の遊女や芸者が「婀娜《あだ》」といって貴《たっと》んだのも薄化粧のことである。「あらひ粉にて磨きあげたる貌《かお》へ、仙女香をすりこみし薄化粧は、ことさらに奥ゆかし」と春水もいっている。また西沢李叟《にしざわりそう》は江戸の化粧に関して「上方《かみがた》の如く白粉《おしろい》べたべたと塗る事なく、至つて薄く目立たぬをよしとす、元来女は男めきたる気性ある所の故《ゆえ》なるべし」といっている。「いき」の質料因と形相因とが、化粧を施すという媚態の言表と、その化粧を暗示に止《とど》めるという理想性の措定《そてい》とに表われている。
 髪は略式のもの[#「髪は略式のもの」に傍点]が「いき」を表現する。文化文政には正式な髪《かみ》は丸髷《まるまげ》と島田髷《しまだまげ》とであった。かつ島田髷としてはほとんど文金高髷《ぶんきんたかまげ》に限られた。これに反して、「いき」と見られた結振《ゆいぶ》りは銀杏髷《いちょうまげ》、楽屋結《がくやゆい》など略式の髪か、さもなくば島田でも潰《つぶ》し島田、投げ島田など正形の崩れたものであった。また特に粋を標榜《ひょうぼう》していた深川の辰巳風俗としては、油を用いない水髪が喜ばれた。「後ろを引詰《ひっつ》め、たぼは上の方へあげて水髪にふつくりと少し出し」た姿は、「他所《よそ》へ出してもあたま許《ばか》りで辰巳仕入と見えたり」と『船頭深話《せんどうしんわ》』はいっている。正式な平衡を破って、髪の形を崩すところに異性へ向って動く二元的「媚態」が表われてくる。またその崩し方が軽妙である点に「垢抜」が表現される。「結ひそそくれしおくれ髪」や「ゆふべほつるる鬢《びん》の毛」がもつ「いき」も同じ理由から来ている。しかるにメリサンドが長い髪を窓外のペレアスに投げかける所作《しょさ》には「いき」なところは少しもない。また一般にブロンドの髪のけばけばしい黄金色よりは、黒髪のみどりの方が「いき」の表現に適合性をもっている。
 なお「いき」なものとしては抜き衣紋[#「抜き衣紋」に傍点]が江戸時代から屋敷方以外で一般に流行した。
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