《むじおもて》、裏模様《うらもよう》」の渋味、すなわち趣味としての渋味は、甘味を止揚したもので、第三段たる「合」の段階を表わしている。
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     四「いき」の自然的表現

 今までは意識現象としての「いき」を考察してきた。今度は客観的表現の形を取った「いき」を、理解さるべき存在様態と見てゆかねばならぬ。意味としての「いき」の把握《はあく》は、後者を前者の上に基礎附け、同時に全体の構造を会得する可能性に懸《かか》っている。さて「いき」の客観的表現は、自然形式[#「自然形式」に傍点]としての表現、すなわち自然的表現と、芸術形式[#「芸術形式」に傍点]としての表現、すなわち芸術的表現との二つに区別することができる。この両表現形式がはたして截然《せつぜん》たる区別を許すかの問題{1}、すなわち自然形式とは畢竟《ひっきょう》芸術形式にほかならないのではないかという問題は極めて興味ある問題であるが、今はその問題には触れずに、単に便宜上、通俗の考え方に従って自然形式と芸術形式との二つに分けてみる。まず自然形式としての表現について考えてみよう。自然形式といえば、いわゆる「象徴的感情移入」の形で自然界に自然象徴[#「自然象徴」に傍点]を見る場合、たとえば柳や小雨を「いき」と感ずるごとき場合をも意味し得るが、ここでは特に「本来的感情移入」の範囲に属する身体的発表[#「身体的発表」に傍点]を自然形式と考えておく。
 身体的発表としての「いき」の自然形式は、聴覚[#「聴覚」に傍点]としてはまず言葉づかい、すなわちものの言振《いいぶ》りに表われる。「男へ対しそのものいひは、あまえずして色気あり」とか「言《こと》の葉草《はぐさ》も野暮ならぬ」とかいう場合がそれであるが、この種の「いき」は普通は一語の発音の仕方、語尾の抑揚などに特色をもってくる。すなわち、一語を普通よりもやや長く引いて発音し、しかる後、急に抑揚を附けて言い切ることは言葉遣《ことばづかい》としての「いき」の基礎をなしている。この際、長く引いて発音した部分と、急に言い切った部分とに、言葉のリズムの上の二元的対立が存在し、かつ、この二元的対立が「いき」のうちの媚態《びたい》の二元性の客観的表現と解される。音声としては、甲走《かんばし》った最高音よりも、ややさびの加わった次高音の方が「いき」である。そうして、言葉のリ
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