う。
「きざ」は、派手と下品とを結び付ける直線上に位している。
「いろっぽさ」すなわち coquet は、上面の正方形内に成立するものであるが、底面上に射影を投ずることがある。上面の正方形においては、甘味と意気とを結び付けている直線に平行してPを通る直線が正方形の二辺と交わる二点がある。この二つの交点と甘味と意気とのつくる矩形全体がいろっぽさである。底面上に射影を投ずる場合には、派手と下品とを結び付ける直線に平行してOを通る直線が正方形の二辺と交わる二つの交点と、派手と、下品とがつくる矩形がいろっぽさを表わしている。上品と意気と下品とを直線的に考えるのは、いろっぽさの射影を底面上に仮定した後、上品と意気と下品の三点を結んで一の三角形を作り、上品から出発して意気を経て下品へ行く運動を考えることを意味しているはずである。影は往々実物よりも暗いものである。
chic とは、上品と意気との二頂点を結び付ける直線全体を漠然《ばくぜん》と指している。
〔raffine'〕とは、意気と渋味とを結び付ける直線が六面体の底面に向って垂直に運動し、間もなく静止した時に、その運動が描いた矩形の名称である。
要するに、この直六面体の図式的価値は、他の同系統の趣味がこの六面体の表面および内部の一定点に配置され得る可能性と函数的《かんすうてき》関係をもっている。
{1}『船頭部屋』に「ここも都の辰巳《たつみ》とて、喜撰《きせん》は朝茶の梅干に、栄代団子《えいたいだんご》の角《かど》とれて、酸いも甘いもかみわけた」という言葉があるように、「いき」すなわち粋[#「粋」に傍点]の味は酸い[#「酸い」に傍点]のである。そうして、自然界における関係の如何《いかん》は別として、意識の世界にあっては、酸味は甘味と渋味との中間にあるのである。また渋味は、自然界にあっては不熟の味である場合が多いが、精神界にあってはしばしば円熟した趣味である。広義の擬古主義が蒼古的《そうこてき》様式の古拙性を尊ぶ理由もそこにある。渋味に関して、正、反、合の形式をとって弁証法が行われているとも考えられる。「鶯《うぐいす》の声まだ渋く聞《きこ》ゆなり、すだちの小野の春の曙《あけぼの》」というときの渋味は、渋滞の意で第一段たる「正」の段階を示している。それに対して、甘味は第二段たる「反」の段階を形成する。そうして「無地表
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