何為ぞ親和交際せざるを得んや。故に従来海老瀬村の谷中村に対する同情ハ真に骨肉の如きものあり。左に少しく之を摘挙せん。
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(イ)明治三十二年二月渡良瀬川沿岸の人民鉱毒のために害せられて毎戸に許多の病者を生ぜり。然れども比年水害を被りて収獲を失ひ既に生計の料に乏しき者何ぞ病を養ふの余資あらんや。是に於て栃木群馬埼玉三県各村の人民二千六百人、当局に対して人命救護の請願を為さんと欲し相携へて上京せんとするの途次、群馬県川俣村に於て警官憲兵数百人其通路を扼して之を抑制するに逢ふや、端なくも官民の争闘を生じ人民七十余名警官数名の負傷あり。而して可憐の冤民ハ兇徒嘯集罪に擬せられ前橋の獄に繋がるゝもの六十余名、谷中川辺二村の人民亦縲紲の辱を受けたれども審理の末放免せられ犯罪の汚名を雪ぐを得たり。越へて明治三十四年十二月に至り各地の有志約二千名親しく来りて沿岸被害民を慰問し、谷中川辺二村の人民亦許多の金品寄贈の義挙に接せり。此時に当り海老瀬村松本英一氏ハ自宅を以て仮設臨時病室となし、東京の仏教徒ハ医師及薬価を寄贈し、谷中、利島、川辺、三村を始め其他村々の人民多数
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