此救護の恩に浴せり。而して又東京の基督教徒ハ芝区芝口に病室を設けて多数の患者を収容し、牛込大久保の慈愛館を開きて沿岸数十名の児童を養育し、各貲財を投じて救護の事に尽くせり。蓋し艱難相扶け窮厄相救ふは愛情の発露にして実に人道の至極とする処なり。殊に茨城の古河町新合村、埼玉の川辺利島の二村、及群馬の海老瀬村、我谷中村等ハ互に河流を抱きて隣接するが故に、地勢治水の関係上苦楽を共にするを以て常に相思相愛の情味を脱する能はざるもの存すればなり。夫れ一村を失ふハ一村の災厄に止まらず、小にしてハ比隣の数百村大にしてハ一国の災厄と為るなり。故に若し一朝谷中村を失はゞ海老瀬村亦其存在を危うせざるを得ず。両村相互の関係斯の如く深し。海老瀬村の谷中村に対する同情決して偶然にあらず。
(ロ)本年八月十日小洪水なりしも海老瀬村有志は谷中村堤防字移堤の危険を慮り自ら人夫を出して之を防がんとし同所に至るや、栃木県庁よりの間牒数名、堤上ニ在りて海老瀬村の人夫に対し「此小洪水に水防に来るハ痴愚なり」と放言し大に嘲罵を加へたり。而して同月十七日大雨あり、翌十八日に至り海老瀬村人夫は前日の暴言を受けたるにも拘らず多数相携へ
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