臣民の康福を増し国家の隆昌を図らんとするに外ならず(明治二十六年十二月十日)」と在り、綸言炳乎として衆庶の公益、臣民の康福を擁護せらるゝに存す。然るに畏くも 至尊統治の下に在りて施政の職に当れる栃木県地方官及下僚官吏ハ 聖旨を遵奉して吾等村民の生命財産を保護するに力を竭くさず、却て至尊の赤子たる吾等村民を駆て死地に擠さんことに努めつゝあり。豈是れ不忠の臣に非ずや。曠職の吏に非ずや。夫れ人生の尊貴なる所以ハ至誠を尽くして其宜しきを行ふに在り。孔子ハ之を仁と名け基督ハ之を愛と称せり。二者名称の差ありと雖も其隣人を愛するの極致に至りてハ未だ曾て反するものに非ず。伏して惟るに至尊施政の大道亦実に仁愛に淵源するあるハ明々白々の事に属す。
吾等村民ハ日に同胞の毒手に誘惑せられて困頓窮厄に艱み、郷閭の地より誘拐せられて異村の山河に悲み、家庭ハ冷かに墳墓ハ乱るゝの惨状に沈淪して哭天慟地の血涙に咽ぶの時に当り、人道上残虐の不幸に遭逢せる者を救ハれ豊饒なる吾等の居村を保持して財産を奪掠せらるゝの災厄を免るゝを得バ、衷心の歓喜何物か之ニ如かん。
想ふに群馬は吾隣県にして地勢治水の利害を同ふし、谷中一村の興廃
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