百二十萬の金を掛けなければ此堤防が出來ないと云ふことに調査が出來たものを何ぜ縣會議員に見せない、見せませぬ、又國會議員にも見せない誰にも見せない、唯内務大臣丈がそれ丈の調べを知つて居る、内務大臣が承知してそれを拵へさせたが、此方を驚かす爲に拵へたかどうか分りませぬが、之を内務大臣に見せたら内務大臣は大に驚いてそれはさせないと云ふので僅に二十二萬圓の金を災害補助費として出した、斯う云ふことである、其金が即ち今度の谷中村の人民の所有權を補償して人民を他へ移す費用になる譯である、斯う云ふので十萬圓掛けて八十五間の口が到底塞げない、仕事は何をしたか左右八百間太き堤防を細く削り落した、波除けの柳を切つてそれで十萬圓掛つて居る、それで迚も十萬圓二十萬圓の金で及ばぬから調査を仕直して百二十萬圓と云ふことである。

     △昨年の實例[#「昨年の實例」に丸傍点]

 そこで村を買收するとあつても人民が居る、蒔いた麥を取らなければならぬと云ふのが昨年の春で、昨年の春村の有志が微かなる金を集めて堤防を拵へました、其堤防を築かせます前は色々此方から幸徳傳次郎さんの奧樣其他の御方の學生諸君が二十人御出になつて早く堤防を築けと云ふ御奬勵があり、其後島田三郎さんが御出になつたことがあります、黒澤さんや色々の學生樣が御出になつて――度々御出下さつて、御奬勵下さつて、漸く堤防を築く量見になつた、堤防と云ふ名でございませぬ、細い――畔みたいなものを拵へて昨年春上半期の收穫を取りました、其カキアゲ土手のやうなものが何程金が掛つたかと云ふと二千九百圓、僅に二千九百圓掛つた、尤も埼玉縣と云ふ地方から日當を取らない人夫が六百人出ました、群馬縣地方から五十人許り手間を取らない人夫が出て、皆御手傳がありましたから安くも上つた御蔭でございますが、合計二千九百圓しか掛らない、二千九百圓掛けて麥と笠にします菅、網代にする葦、簾にする葭、馬に食はせる東京へ賣出します草、豆が半分許り取れました、それから蕎麥、斯う云ふものが合せて七萬三千圓以上のものを取つたです、僅か二千九百圓の堤防で七萬三千圓以上のものを取りました、こゝが諸君の御記憶を願はなければならぬ、成程堤防と云ふやうな立派な物でありませぬ、僅に二千九百圓ですから、だが縣廳では之に十萬圓掛けて口が塞げなかつた、十萬圓掛けて塞げない所が如何に堤防と云ふ名が付くものでないと云ふ惡口を云ふが、どんな小さなものでもどんな樣のものでも用ひて七萬六千圓の收穫を取つた、縣廳の力で十萬圓掛けて出來ぬことを、縣廳の力で陸軍の馬糧麥に應ずることが出來ぬのを人民は二千九百圓で戰爭の御用を足した、縣廳の力で百二十萬圓掛けなければ安心が付かないものを二千九百圓で半年の安心が付いた、是が表から見ますと如何にも波が荒い所で堤防を現在見てもあの通り碎けて居る如く見へますが、之は皆拵へたものでありまして左程困難な譯ではない。

     △十五萬圓の純益[#「十五萬圓の純益」に丸傍点]

 されば何程掛ければ堤防が完全に出來るかと云ふ御尋がございますれば凡そ一年二萬圓掛けましたら宜しい、年々二萬圓掛けてすれば立派な堤防になります、二萬圓掛けて何程の收穫があるかと云へば二十萬圓の上に出る、其中勞銀を取りましても十五萬圓の純益を得る、如何でございます、二萬圓掛けて十五萬の純益を得る、堤防費の資本である、資本を二萬圓出せば十五萬圓の純益を得る、斯ふ云ふ利益の多いことは世の中にない、何故にさう云ふ風に利益が多いかと云へば前の政府が四百年の間丹精を込めて積み立つた堤防の三百五十萬圓の價のある者がチヤンと周つて居る、(拍手起る)恰も親が家を造つて呉れたから子息の代になつて家賃を取ると同じで、屋根が剥れる、地震で曲る、それを手入さへすれば年々千圓百圓の家賃が取れる、前の政府の賜物の三百五十萬圓と開墾した富がチヤンとございますから、今は利益を取る計りになつて居りますから、僅か修繕費を二萬圓一年に掛ければ二十萬圓取れる許りになつて居るのを之を破壞する、諸君能く私は御訴へ申す積りでございますれども何分疲勞致して居りますから嘸御聽き苦しうございませうが、左樣な次第でございまして、一體此堤防に對する政府の責任と云ふものは復舊の工事をするにあるのです。

     △堤防取崩の命[#「堤防取崩の命」に丸傍点]

 人民は其村に居つて納税兵役の法律上の義務、其他吾々社會に大なる利益を與へて何も罪のない人民がそこに居る、是に堤防を築かないで三十五年以來原形に復することをしないで居つて、さうして人民を困らせて――困らせに困らせて責めて往つて、此度此麥を苅らずに明日村を立退けと云ふ、それも今蒔いて居る麥を取つて食べたいと云ふので細い堤防を築いてなりともやつて居る、其工事に對して不埒だから其仕事を止めて運んだ土を元とへ持つて往け、持つて往かなければ縣廳が此方でやる、之を法律でやる、さうして其費用は取るぞ、夫は成程惡いことをすれば人民に其法律を用ひて宜しいことがあるかも知れぬ、何を惡いことをして居る、何を惡いことをして居るのであるか、殊更其法律を持出して其人民の衣食を奪つて困らせて、其土地を奪はんければ止まないと云ふことで、來る二十七日迄に堤防を築いたのを取崩せ、それをやらなければ此方から人夫を差向けると云ふ書面が、去る十三日に仕事をして居る者の所へ飛んで來た、此中でございますから役に立たぬでも私が村に居つて皆と相談しなければならぬのでございますけれども、それより此事を御訴へ申すのが非常な必要と考へまして今日は出ましたのでございます。(拍手喝采)

     △殘酷も亦甚し[#「殘酷も亦甚し」に丸傍点]

 今日矢鱈に堤防を築いては外の障りになりますから河川法に於て八釜敷く云ふのは無理のないことで、河川法に觸れゝば惡いと云ふのは無理のないことである、無理のないことでございますけれども何も細い堤防を築いたから之が河川法に他の妨害を與へるやうなものでも何でもない、又此堤防も普通の堤防と名が付きますれば河川法に害を加へることも出來て來ます、急水止と云ふのは堤防でない、一時水を防ぐ、所謂浸水です、水の浸入することを一時防ぐに過ぎないのを急水止と云ふ、過つて手なり足なりを刄物を以て斬る、血が出る、醫師を頼んで來て願ひます、醫師一人が馳せて往く、其間血を垂して居るものは手拭で卷く、之が急水止、それから醫師が來てから本當に療治する、此本法[#「法」に「〔當〕」の注記]の療治をする時は法律に觸れないやうにしなければならぬ、血止を自分の手でやる時に之が惡いと云ふに至つては殘酷も亦甚しいことでございます、(拍手起る)田の畔同樣の一の荒い浪が來れば倒れる、細い堤防が、之が河川法に觸れゝば指で筋を付けても河川法に觸れることになる、何か名を付けて窘める種を拵へて人民を責め付けて盡く買收に應じさせ、盡く一人も殘らず村を買收して仕舞ふまでは此堤防は何處迄も妨害すると云ふことを口で云つて居る、今日は餘程惡黨奴等が正直になつて皆饒舌つて仕舞ふ。

     △買收の目的は何にありや[#「買收の目的は何にありや」に丸傍点]

 それからさうなれば村を取つて仕舞へばどうするのであるか、貯水地として水を入れるのである、斯ふ云ふのですが之は嘘です、取つて仕舞へば立派な田地でございまして、唯今申す通り二萬圓掛ければ二十萬圓以上のものが取れますから決して水などを入れてブカ/\にするやうなことはない、如何に政府が不經濟が好きでもしない、(笑聲起る)此事は不經濟の側から來たのでない、欲の側から來たので、善い村だから取つて錢儲けをしやうと云ふ主義から來たから、何十萬圓拂つて買取つたら自分の物になると堤防を築いて麥が取りたくなるに違ひない、其時は是から先のことでございますが、決して今日の經濟社會に於て、世の中の人が斯る結構な村を何十萬圓と云ふ金を掛けて四隣が迷惑を云ふに拘らず水を注入して置くことは許すまいと思ひます、彼の村が若し栃木縣の中でも宇都宮近邊、栃木町近邊、東京府なら練馬板橋とか云ふ附近にでもある村でございましたらどの位の立派な村になるでございませう、實に善い所なんです、されば此村の善いと云ふ御話しも少ししませんければなりませぬが、非常に天産力に富んで居る村でございまして、一體渡良瀬川の流れの附近は古來善い土で善い作物の取れることは歴史にある、歌に詩に作つてあるさうであつて、谷中村は其の沖洲で出來たので、堤の外が良い土なので居りますのでどの位作物が取れるかと申しますと、鑛毒の話のない前は肥料をやらぬで十二俵半の米が取れる、村殘らずと云ふ譯にはいきませぬが先づ八俵九俵十俵十一俵十二俵半と云ふ所を昇降して取れた所である、其後鑛毒がありましてから堤防が切れると云ふと中へ鑛毒水が這入りますから中が惡くなりました、中が惡くなりましたけれ共三十五年に堤防の切れたのが大災害であつて又一の幸福になりましたのは三十五年に堤防の切れ目が如何にも場所が宜い所が切れまして三十五年にドツサリ泥が這入つた、三十五年のことは一ツ御話をしなけば[#「けば」に「〔ママ〕」の注記]なりませぬが、三十五年の暴風雨の時には日光其他足尾銅山黒髮山一圓の水源が多く荒まして、そうして渡良瀬川の川上に至つて南北十里東西三四里山が川に向けて崩れました、是が皆見物に往つて驚いて居ります有樣を爲した、殆ど山の土の流れたること五百年ぶりと云ふか千年振りと云ふか古來ないことが出來た、之が山林亂伐山の赤裸の所へ雨が降つたから崩れた、此土が一度にドン/\流れて來て渡良瀬川の低い所に多く這入つた所があつたが多く這入つた所は直ちに昔の通りになつて仕舞つた、谷中村は幸ひ切れ口が、泥の這入る所の口が明きましたから、八分通り泥を置きました、或は二尺置も或は一尺置いた所もある、三寸置いた所も一寸置いた所もある、平均三寸位置いて往つたゞらうか、さう云ふ譯でございまして谷中村堤内は一千町弱ございますけれども其中が眞ツ平で、少し高い所がございますがどうしても泥が入らなかつたから其處は復活しませぬが、低い所は却て宜くなつた、それでございますから元の通りには往きませぬが、前に十二俵半取つた所でも其半分六七俵は取れることになつて來た、是が三十五年の鑛毒地の變化でございます、今日此堤防を丈夫にしますと谷中村は大層幸福なことが出來る、何であるかと申しますれば灌漑用水が渡良瀬川から引込むとどうしても鑛毒水を入れますけれども、谷中村は中に灌漑用水の水が出る所がございますから、渡良瀬川の水を引入れないで十分餘りありますから堤防を完全にすれば鑛毒地の眞ン中に居つて鑛毒知らずの村になると云ふのです、サア之を取りたいのは無理でない。

     △人道の戰爭[#「人道の戰爭」に丸傍点]

 之は二十五年に陸奧宗光が農商務大臣をして居る中に調査したことで、之を祕密にして置いて、それから二十八九年の頃よりソロ/\此堤防を水に浸すやうにして置いた、此通り水浸しにされては堪らぬから村では村債を起して借金をして自から堤防を築かうと云ふ考を起させる、之を勸める、それから村々に借金が出來た、其借金の爲に利息を取られる、地價が大概低くなると云ふ歴史を拵へてあつて、卅五年に至て谷中村の堤防が切れた、幸だから此堤防の切れた口を塞がないで置けば人民は困つて來る、田地の直が安くなり地面の直が安くなる、總ての價が下落するから其下落する所を取るが一番宜いと云ふ結果が生じた、是で谷中村の如きは其分捕を將に半分以上實行されて今に其村を奪ひ取られつゝある所でございます、丁度之を旅順港にしましたら最早鷄冠山も松樹山も取られたと云ふ場合か知りませぬ、併ながら人道の職[#「職」に「〔戰〕」の注記]爭はああ云ふ戰爭と違ひますから、且此道に當る有志なるものは、老ひたりと雖もステツセル[#「ステツセル」に傍線]を氣取る積りはありませぬ。(拍手起る)

     △コツプを飮むのでは無い[#「コツプを飮むのでは無い」に丸傍点]

 序に是非まだ御訴へ申して置かなければ
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