其時の徳川の爲に忠臣と云ふ人々が此の江戸城を逃出す時の有樣は、旗本何萬人と云ふ者が逃出すに皆家屋敷を持つて居るから、何程家屋敷を錢にしたいと思ふが誰も買ふ者がない、能く此時の有樣に似て居ります、仕方がないから御出入御用商人を呼出して此度脱走して出て往くからなんぼにでも宜いから買つて呉れぬかと云ふ、買つた所がなんだらうが何程にでも宜いから取つて呉れんかと云つて御出入と稱する商人に其殿樣が御辭義をして頼んだ、其時には或は石燈籠のある泉水のある庭園を二十圓三十圓と云ふ金で立派な證文を渡して其金を懷にして逃出した、もう出れば生命はない、戰へば生命の有無を期する筈にいかぬ、其時分の有樣を私は目撃して知つて居りますが、之は戰爭でございます、日本政府は此忠良なる人民を相手にして戰爭をするが如く、八方から水責にし食物を絶ち金融を絶ち、妻子を疲らして遁出す時分に僅なる金を與へて之を買取つたと稱して居る、さうして千五百萬圓からの價のあるものを、僅か四十八萬圓の金を以て奪取る云ふことは現在行れて居るのです。

     △決して日本國は無い[#「決して日本國は無い」に丸傍点]

 諸君如何でございませう、何たることでございませうか、諸君の日常御心配下さる所のことは是れに似寄つたこと許り今の日本に多いのでがすから格段珍らしいと思召さぬか知りませぬが私は廣く新聞も碌に見ることが出來ませぬで唯此處に居りまして昨年一昨年以來谷中村に這入り込んで居りまして、そこの一例から觀察をしますと、決して日本と云ふものはあるものでない、何が日本であるか、戰爭などは何の爲にしたか、政府たるものが人民に對する仕事が殆ど戰爭の如き有樣である、どうか諸君色々の御話を申上げましても御信用のことが如何であるか分りませぬが、どうか餘り遠方のことでもございませぬから、千萬御繰合せ下さいまして、我日本國中にさう云ふ所があるに相違ないのでございますから、私が案内申上げますから、何卒之を御實査相成ることを偏に御願ひ申します、日常諸君は御存知ですが少々此間中から、疲勞を致して居りますから少々の間休みまして尚引續いて今少々諸君に願ひたう存じます。(十分間許休憩)

     △亂暴狼籍[#「亂暴狼籍」に丸傍点]

 少々宛申上げます、栃木縣下都賀郡谷中村と云ふ村を潰しますのは買收と云ふことは出來ぬで、補償と申して居ります、補償金を與へて之を買上げると云ふことは何も法律がないのです、法律に依らない仕事である、谷中村を潰すことは固より法律にない、買收と云ふことは固より法律にない、何の法律に依つて谷中村を潰すと云ふものは何もない、栃木縣會が議しまして今日栃木縣の法律と云ふ譯ではないが、縣會中で議した者で法律となつて居る者は堤防建築費と云ふ、それから帝國議會に於て議決になりました者は災害土木補助費、其中に谷中村の買收費と云ふ者は何處にも書いてない、唯其土木補助費災害土木補助費と云ふ金の中を活用して應用して村を潰す金に使ふ、堤防建築費と云ふ之も建築の一であると云ふことに應用して潰すと云ふに過ぎない、正しき谷中村買收費と云ふ法律がないが爲に、谷中村で其所有權を買上げなければならぬが、公益の爲め買はなければならぬと云ふ明な言葉を出すことが出來ぬから、それが爲に種々の惡策を用ひて人民を間接直接に脅迫し強制して種々なる脅しを掛け、或は古道具屋を入れ、庭内の樹木を買ふものを入れ、種々なる手段を用ひて其方の運動費に多くの金を費し、法律がないが爲に惡策を用ひてさうして人民を脅迫して之を賣らせると云ふことにするのです、明なる法律に正條のある仕事ならば何を苦んであゝ云ふことをする譯はない、今日迄明なる法律を以て公益の爲に其方の村を買はなければならぬと云ふことは何等の書付に書いて出さない、でがすから普通の常識を持つて居る人民ならば法律を見せなさいと云へば雜作ない話で、然れども唯今申しました通り、四年間の水責と食糧金融を絶たれ、尚永遠の望を絶たれ將來の望を絶たれて堤防は築かぬ、斯樣な人類の住んで居る村へ對して將來共に堤防を築かぬと云ふ亂暴狼籍を云はれてそれで分らぬ人民であるから、何の法律に依つて吾々の村を買收するか、吾々をして買潰すと云ふことは何の法律があるかそれを見たいと云ふものは一人もない、そんなどころでございませぬ、唯今申す通り江戸城の亡びる時遁出す有樣でございますから、値の高いも安いもそんなことを論ずるところでない、我先に爭ふて逃出すのです、古來何百年來成り來つた村を潰すに明なる法律に正條もないことを以て曖昧の間に此村を打潰して、己の利欲の爲に此村を取ると云ふことは何たることでございましやう。

      △人民を狂亂させた[#「人民を狂亂させた」に丸傍点]

 彼の言ふ所は貯水池にすると云ふ、谷中村水利の爲め池沼にする、貯水池にして洪水の時此村へ洪水を入れるから外の村々が助かると云ふ、其口實も其通りならば宜しいが、其四隣縣より甚だ迷惑であると云ふことを内務省に申出てある、國會にも其書面が出て居る、又此谷中村と云ふ村は決して今迄水が這入つて作物が出來ないと云ふやうな村でないので、立派な村です、夫故に今日御出を願つて御覽になれば能く分ります、皆立派な麥畠です、風が吹けば塵が立つて外の地方と變ることはない、然るに一昨年の麥蒔き時分から、堤防を築かないから、麥蒔きをしてはいかぬと云つて人民に諭す縣廳の役人共です、昨年の夏は田植最中に大勢官吏が押込んで來て、調査と稱して村中を横行して人民を狂亂させた、當年の麥蒔き最中に麥を蒔かなければならぬのに麥を蒔いてはいかぬ、堤防は築かぬから蒔いても取れない、村役場で印を捺して村長の名を以て堤防は決して出來ないからと云つて毎戸に村へ振れると云ふ餘計な世話をして居る、當年麥を蒔かぬ畠がある、之は麥を蒔けよと云ふこそ縣廳の仕事である、申す迄もない、殊に栃木縣知事は栃木縣農會々長である、斯樣な譯で田植へ麥蒔きを妨害して今日堤防を築かせない、斯樣なことを斷言して且公文書を發して居る、人民を買收事務所へ呼付けて堤防は築かない、貴樣等村に居る中は駄目であるぞ、賣れ、畏りましたと云つて賣つて仕舞ふ、是等は賣らぬと云ふ人に對する處置、さうして百姓の農業を妨害し、百姓は折角仕付けても堤防がなければ水が這入りますから麥も稻も取れませぬから躊躇する、一町植へるのを五反で止めます、麥も一町の所を五反で止めますから空地がございます、それでも麥を蒔いた所は立派な所になつて居ります、官吏が先立をして作物を仕付けるなと云ふことを怒鳴り散して歩くと云ふことは、諸君どうでございませう、例へ谷中村を水を溜める所にするにせよ、人民の居る中は堤防は必要と極つて居る、人民はさなくても水鳥でもない、作物を取れば何の害があるか今から五十日經てば麥になる、前に取つたのは食べて仕舞つた、植付けてありますのは是から五十日經たなければ食へぬと云ふ麥になつて居る、併ながら堤防がございませぬから是から雪解け水が來るから這入るに極つて居る、微かなる堤防を築いて呉れ、給[#「給」に「〔急〕」の注記]水止を築いて呉れと云つて何遍願つても出來ませぬ、其中に水がやつて來ますから人民の中から錢を出し合つて僅なものを造つて居ると、之を縣廳から差止めの役人が來る、御理解は御尤か何だか分りませぬが何が惡いのでございませうか、麥を取つて何が惡いのでございませうか、昨年も貴方君吾々が麥を取るのを御妨げで厶いましたけれども昨年からも細い堤防を築いて麥丈を取りました、昨年は麥を取つた結果で幾分か御用が參りまして戰爭の馬糧麥を二百石程獻じました、徴發に應じました、又今日と雖も租税を拂つて居ります、今日と雖も兵隊を出して居ります、馬を寄越せと云へば馬を上げます、昨年吾々の築いた堤防で麥の徴發に應じてある程で厶いますからどうぞ當年も細くも築かして呉れんならぬのに御差止の譯ですか、差止める譯でもないが、相成らぬ、彼是押合つて居ります中に近頃になりまして、河川法に觸れて居ると云つて嚴重なことを書いたものを達して來ました、河川法第十八條に依るとか何條に依るとか云つて、來る二十七日迄に彼の堤防を取拂つて仕舞へ、若し取拂はなければ官自から其堤防を片付ける、片付けて其費用は貴樣達から徴收する、斯う云ふことを書いて寄越しました、是はマア何とも早や言語に絶つて居るとか何とか云ふことでございませうが、何たることでございませうか。

     △堤防の破壞[#「堤防の破壞」に丸傍点]

 止むことを得ない堤防の御話も少々しなければなりませぬが、谷中村に對する堤防丈の御話を致しますと、谷中村と云ふ村は尤も周圍が堤防で、三里十八町を堤防を以て巡つて居る、赤間沼と云ふ沼がある、之が淺い、是がどうも壞れ易くなつて居る、けれども私が近來見まするに左程至難な堤防ではない、何となれば斯う云ふことがございます、三十五年に堤防が切れました、時に縣會が議決しまして其切付けを防ぐに付いて追々に金を支出致しました、僅か八十五間の切付けを防ぐに付いて縣會が金を出しましたのが三度に十萬圓の金を出した、十萬圓の金を三十六七年に掛けて十萬圓の金を出して僅なる八十五間の切口が塞ぎ得なかつた、夫から八十五間の口が十萬圓の金で塞ぎ得ないと云ふ評判を私共聞いて其所へ參つて見ますと云ふと、如何にも口が塞ぎ切れぬで、左右の堤防が八百間許り波で壞れて居る、酷い有樣に壞れて居るから之は成程波の荒い所だ、成程十萬兩掛けて此僅か八十五間の口が塞げぬ所で仕樣がないと私も欺された、三十七年に參つて更に其波の荒きことに驚いた、如何にも堤防を築くに骨が折れるなと私も一度欺かれた、段々之を調査しますと八百間許りの間の堤防の波の打たれた如く見へるのは土木吏が鍬で切り崩した、波除けの柳を切り、太い所を削つて細くした、其跡を波に打たしたから大層波の荒い樣に見へる、之は何時何の爲に切り落したと云ふと工事の出來が惡いから拵へ直すと云つて切り落した、それは七月十三日迄の仕事で、七月半に至つて洪水の眞最中になつて堤防を切崩した、七月十三日になつて切崩して居る中に洪水が來て土木吏が逃げて仕舞つた、それ切り形を見せない、其後とで東京から參つた御方に見せたり田中正造なども波が荒いと云つて欺された、内務省の役人其他農商務省の役人が之を見ると如何にも之は沼の波が荒い爲に容易な金ではいかないと思ふ、さう云ふ風に見せました、それで三十八年の春到底いかぬが村を潰すのも如何にも殘念なことだから、もう一度嚴重に調査をしてどれ丈の金を掛ければ此谷中村を潰さないで此堤防を防げるかと云ふので内務省から役人も往き、地方の技師と調査し直して幾ら掛けたら宜からうと云ふことを調査しました、所が百二十萬圓掛ると云ふ調査です、百二十萬圓掛ければ此堤防が安全だ、併ながら百二十萬圓掛け放しではいかぬ、年々六萬圓宛修繕費が必要だ、斯う云ふ調査を拵へてさうして之を内務大臣に見せた、内務大臣驚いた、時は恰も戰爭中である、戰爭中タツタ一ヶ村を防ぐ堤防を拵へるに百二十萬圓、こんな馬鹿なことをやつて居られるものでない、さりとて人民は水の中に今日は飮まず食はずに居る譯であるから谷中の人民をどうさしたら宜からうか、さうなれば先づ安き補償金を與へて人民を餘所へ移したら宜からうと云ふ御決心に内務省はなつたと云ふこと、之は今日まだ土木をして居る土木課長の某が明に村會議員二三名總代二名私と、警察官は立會はせませぬが縣會議員を立會しての話である、此土木の話に斯うです、私は來た計りでございまして茨城の方から廻つて來た計りで、栃木の谷中村の事情は存じませぬが、書いた上の御話をすれば始り十萬圓掛けたが效能がない、十萬二十萬ではいかぬと云ふので調べたら百二十萬と云ふものが出た、此上に年々修繕費を加へたら安全だらうと云ふので東京へ要求したが、それ丈の金は掛けることはいかぬと云ふので二十二萬圓と云ふ金を國庫から貰つて、此方から二十六萬圓加へて四十八萬圓にして先づ人民を救ふ手段にしましたと云ふ話をしました、之は明に證人のあることで、此
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