土地兼併の罪惡
田中正造

−−
【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「切迫して居る境遇」に丸傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ブカ/\
−−

     △切迫して居る境遇[#「切迫して居る境遇」に丸傍点]

 私は皆樣、昨年十月一寸東京へ參つて、一夜島田三郎君の所に往きまして、夫から歸りまして、又直ぐ出て來て堺さんの由分社へ一晩御厄介になつた切り東京へ出て參りませぬ、是非東京へ出て來なければならぬ問題がありまするのでございますけれども、それは出て參れない、出て參れない計りでなく、早や書面に書いて御心配下さる御方々へ御知らせ申すことも出來ない、何でいけないかと申しますと、先づ一口に閑がない、色々、郵便が不便だの書いて呉れる人が少ないと云ふこともございますけれども、詰り手紙を出す閑がない、それですから一向御知らせ申すことも出來ない、中には政治家に御訴へ申すこともあるですが、帝國議會が開けて居る時も一日も出て來ないようなことで、どうも如何にも切迫して居る境遇でございます、今日もどうしても上り兼ねますのでございますけれども、今日は色々と吾々を御助け下される所の諸君の御集會である、繰合して出て幾分の事情を御訴へを申したり、又是迄御心配下すつた御禮を申すのも必要であるだらうから、一寸でも出京したら宜からうと云ふことを加藤安世君より御注意もございましたから出ましてございます、誠に社會の爲に御盡しになる所の諸君に斯の如き一箇所に於て御目に懸れると云ふことは、私に取りましては、如何にも有難いことに存じます、幸ひ御目に懸りましたから少々宛申上げやうと考へますが、諸君が御承知の如く今日の世の中は一朝一夕の席上の御話で盡せると云ふことは素より爲せぬでございますけれども、少々宛なりとも申上げて、さうして己の知つて居る所丈けの一局部の御話でも之を申上げまして皆樣の御救ひを頂き、且又御參考に供します。

     △所謂大政治家[#「所謂大政治家」に丸傍点]

 一體今日に於ける區域の廣い仕事をする人達は所謂政治家でございますけれども、何か地方に問題があると夫は小問題である、一地方の小問題であると大きなことを申しますが、啻に幅廣ろの話をすれば大問題で、それは政治家らしい、精密な話をすればそれは技師の話、漠然として取止らぬやうなことを云ふのが之が政治家で、或は靜岡縣に何がある、栃木縣に何があると云ふと、それは皆小問題小問題と云ふ、甚しきは其府縣の選擧代議士にして之を小問題と云ふ、さうして之を抛棄して二十億萬をどうすれば之が大政治家だと云ふやうなことを申しますが、諸君は嘸之に對して御困難なことだらうと御察し申上げます、私は其彼等が小問題と云ふ所の問題を申す[#「す」に「〔ママ〕」の注記]まするので、久しく私が皆樣の御力を得てやつて居りますことは足尾銅山鑛毒問題でございますが、此鑛毒と云ふことは今日世に殆ど響がないやうになつて居つて、それから其鑛毒問題から分れて色々の新しき問題が出來て居る、既に鑛毒問題と云ふ方をソツチ除けにして新しい問題の方へ移つて居るやうな譯でございます、丁度一方から見ると鑛毒問題はなくなつて仕舞つたと同じ樣でございますが、決してさう云ふ譯でございませぬ、又今日申上げますのも足尾銅山鑛毒とは申さない、今日諸君に御訴へ申す所の話の前に一通り極く簡單に山林や河や田畑の關係を少しく申上げないとなるまいと考へます。

     △日本の土地兼併は罪惡也[#「日本の土地兼併は罪惡也」に丸傍点]

 今日の題は土地を兼併するの罪惡と云ふ、土地の兼併と云ふことは今日何れの國でも國の文明に伴つて居るのもあり色々でございませうが、日本の土地の兼併は殆ど罪惡が多い、勿論自然でない、無理無體に兼併主義を取るものでございますから非常に惡いことをする、夫故に土地の兼併の罪惡と云ふことにしましたけれども、何か政府を攻撃するの、人を惡く云ふのと云ふそんな閑はないですから、公平に私が既往から今日に至つて居る所の渡良瀬川と云ふ所や、利根川と云ふ所の關係の官林拂下と云ふことゝ、それに對する費用がどう云ふ風になつて居ると云ふことを極く簡單に申上げて見たいと思ひます。

     △官林の拂下[#「官林の拂下」に丸傍点]

 廿一二年の頃足尾銅山附近の七千六百町と云ふ官林を拂下げまして、又矢張是も栃木縣の中でございますが、三千七百町と云ふ山林を拂下げました、三千七百町と云ふのは安生と云ふものに拂下げ、七千六百町は古川[#「川」に「〔河〕」の注記]市兵衞に拂下げましたのですが、双方で一萬千三百町、此代價が何程かと云ふと一萬千百圓である、一萬千三百町の官林を材木と地面とを合せてやつた、細かな御話をしますとお話が先にいきませぬから、一萬千三百町の地面の立派な材木と其中三千町以上の地面を附けて其代價が一萬千百圓で、此兩人に拂下げになつて居ると云ふことを御記憶を願ふ、一萬千三百町のものを一萬千百圓で拂下げた、夫で其木を伐つた、其木を伐ると云ふことに付いても大層御話がございますが夫は木を伐つたと一口に云ふ、それから山の木を伐れば河が荒れると云ふことは定まつて居る、河が荒れゝば又其河に費用が掛ると云ふことは定まつて居る、河を渫ふ、色々費用が掛ると云ふことは皆樣御承知のこと、そこで此河は群馬縣、埼玉縣、茨城縣に及んで居りますが、先づ栃木縣一縣の御話で後とは御推測を願ふ。

     △農商務大臣殿の屋敷迄[#「農商務大臣殿の屋敷迄」に丸傍点]

 栃木縣一縣で地方税が負擔に堪へなくなつた、河が荒れて負擔に堪へなくなつて百八萬圓と云ふ借金をして、土木費堤防費抔が河が荒れて堪らぬで百八萬圓拂ふて河を修理して居る、栃木縣一縣下で官林を拂下げてタツタ一萬一千百圓の金を國庫に收入した、さうして百八萬圓借財をして堤防を造つて居ります、之を一寸覺へて置いて頂きたい、之は栃木縣一縣下で群馬縣も多少此例がある、埼玉縣にも茨城縣にも此例があると御承知を願つて置きたい、それで政府は國會議員の忠告或は社會主義者の忠告、種々なるものが幾らか耳に入つて、大に悔る所があつて、此山へ木を植へると云ふことを始めた、山へ木を植へると云ふと百年經てば河が荒れなくなる、だから兎に角山へ木を植へると云ふことは惡いことではない、しなければならぬ仕事である、之は一體徳川時代にも斯う云ふことがあつた、矢張百八年目になつて居る、古川市兵衞と安生に拂下げたのは百八年目になつて居る、矢張木を植へることをやつた、木を植へると云ふことが去る三十年の年に九萬六千本を植へた、九千六百圓で拂下げて――九萬六千本の臼のやうな木を九千六百圓で拂下げて、其跡へ斯んな小指のような苗木を植へるのが九萬六千圓、九萬六千圓で何程の部分に植つたかと云ふと七千六百町の中百町も植はらない、到底七千六百町の中へ植へるのには九萬や十萬の金では仕樣がないと云ふので抛棄して置いたが、餘程の奮發と見へて六十八萬圓と云ふ代價の原案が出て帝國議會で植へることになりました、こゝ等が一寸御記憶を願ひたい、惡いことでない、善い方のことで、前の惡いことを悔いてやることだから、一萬千百圓の所へ九萬六千圓の木を植へる、後とが六十八萬圓の木を植へる、それを十年繼續して植へると云ふ斯う云ふ次第で、利根川も渡良瀬川以下大分荒れました、二十九年には東京府へ咄嵯に鑛毒水が這入つて向島の農商務大臣殿の屋敷迄鑛毒水が這入つた、斯う云ふので驚いて、さうして群馬、埼玉、茨城、栃木等の知事が集つて政府に河渫をすること、利根川を低くすること、水のコケの宜くなることを河身改良として、國會に要求して、政府から原案を出して貰つて國會議員も之を贊成して呉れと云ふ運動を群馬、埼玉、茨城、栃木の知事が盡力して、さうして國會を通過して東京府へ鑛毒水の這入らぬやうに土手を太くしたり、河を渫へ廣げたりする普請金が六百五十萬圓と云ふ、之は東京府へ鑛毒水が這入ると由々しき問題が起る、足尾銅山鑛毒田地が出來るから、それは大變だから豫め東京府へ鑛毒水が這入らぬが宜いと云ふので六百五十萬圓と云ふ金が出たのである、それは年々五十萬圓宛の金で銚子の口から河身改良をして居ります、栗橋と云ふ東北線を渡る處迄參るのが明治四十二年に彼處に達する、さうすると渡良瀬川の水のコケも宜くなり水害も少なくなる、之は直接鑛毒問題のやうではないが、上手の渡良瀬川の近所の人民が騷ぐ分はどうか、時たま兇徒嘯集と云ふ名でも付けて牢へ入れゝば濟むが東京府の人民は色々學者が居つて八釜敷くてならぬから、之は議論が移つて來てはいけないと云ふ所の豫防法が御話にはなかつた、御話すると皆氣が付くから御話には河身改良費と云ふのですが、之が六百五十萬兩、斯樣な譯で此僅か一萬千百圓の國庫收入があつて官林の拂下、之に對する亂伐、其町歩が一萬千三百町、之は表反別でございますけれ共官林のことは中々實測調べは何萬町になつて居るか分らぬ廣い場所である、是で一萬一千百圓の國庫收入の山に或は木を植へる、或は地方縣令で借金をして栃木縣一縣下で百八萬圓借金をして、東京府の豫防の爲に六百五十萬圓支出する、此金額はこゝで八百四十三萬六千圓となる、八百四十三萬六千圓、此外まだ埼玉縣、群馬縣、茨城縣等の堤防費の多く殖へたと云ふことは此外になりますから殆ど千萬圓多く餘分の金が支出になると云ふことで、さうしなければ此一萬千百圓で拂下げた爲に山が赤裸になつて山口が崩れる、洪水が出て來る、河を荒し人家を荒し人を殺すことを防ぐ手段として、此處に申上げる所許りで八百四十三萬六千圓と云ふ金を投じた、尚此外に埼玉、群馬、茨城等の地方税の増加と云ふものを加へましたならば殆ど千萬圓に近い金が出て居る、是は鑛毒と云ふ字を出さないで御話する、鑛毒の害は此外である、之は今日論ずるの時間を許しませぬ、唯山林を荒して河が荒れて道路費の掛ると云ふ經濟上の一ツで、國庫の收入支出の差丈を御覽に入れましたのです。

     △失策の發露[#「失策の發露」に丸傍点]

 そこで山へ木を植へると云ふことは政府が漸く山を荒し川を荒して惡かつたと云ふことを顧みて斯うしなければならぬと云ふ所から皆出て來る金、皆其既往の失策を補ふ所の金で、古川殿安生殿に山を拂下げた其失策を世間に見せない樣にする金が百八萬圓、六十八萬圓、九萬六千圓、六百五十萬圓、合せて八百四十三[#「四十三」に「〔三十五〕」の注記]萬六千圓となります、斯う云ふのです、之は前の失策を悔いてやつて居る、僅に斯う云ふ譯で、斯う云ふ經濟でございますから豪い經濟學者が政府には澤山ございませうが、何しろ一萬千百圓の金の爲に八百四十三萬六千圓を失つた、さうしてまだ元とのやうにならない、昔のやうにならない、八百四十三萬圓ではどうしても昔の樣な結構な川にはいかぬ、結構な山にはならぬ、百年も經てば昔のやうになるかと云ふ、先づ八百分の一、八百分の一位の金の爲に八百倍の損をすると云ふやうなことは經濟學者と云ふものを頼まぬでも出來ると思ひます。

     △何の先非後悔ぞや[#「何の先非後悔ぞや」に丸傍点]

 そこで夫を悔るなら宜しい、悔るなら悔ると云ふ一方で往けばまだ宜しい、既往の過失は今責立つても仕方がない、大きに惡かつたと思へば其趣意を貫徹させれば夫で宜しいが、――宜くもないけれどもそれで宜いとして置く、所が一方に金を使ふ所を見ると非常に悔いたやうだけれども、一方には益々やらかして居る、何をやらかして居る、矢張山を荒し河を荒すことをやらかして居る、且荒れた村は面倒臭いから取つて仕舞ふ、斯樣なことをやらかす、利根川の下流に於て六百五十萬圓の金を掛けて河身の改良をして水の流れを宜くすると云つて居りながら、群馬縣利根川の利根[#「利根」に「〔根利〕」の注記]官林で四千町歩を四千圓で拂下げた、是が又大層利根川の荒れることになる、そこで六百五十萬圓掛けて先非後悔で河を渫へて居る、此上の災害の多くならぬや
次へ
全6ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 正造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング