も思ふて眞人間になつて下され、御酒を呑で氣を晴らすは一時、眞から改心して下さらねば心元なく思はれますとて女房打なげくに、返事はなくて吐息折々に太く身動きもせず仰向ふしたる心根の愁《つら》さ、其身になつてもお力が事の忘れられぬか、十年つれそふて子供まで儲けし我れに心かぎりの辛苦《くらう》をさせて、子には襤褸《ぼろ》を下げさせ家とては二疊一間の此樣な犬小屋、世間一體から馬鹿にされて別物にされて、よしや春秋の彼岸が來ればとて、隣近處に牡丹もち團子と配り歩く中を源七が家へは遣らぬが能い、返禮が氣の毒なとて、心切《しんせつ》かは知らねど十軒長屋の一軒は除け物、男は外出《そとで》がちなればいさゝか心に懸るまじけれど女心には遣る瀬のなきほど切なく悲しく、おのづと肩身せばまりて朝夕の挨拶も人の目色を見るやうなる情なき思ひもするを、其れをば思はで我が情婦《こひ》の上ばかりを思ひつゞけ、無情《つれな》き人の心の底が夫れほどまでに戀しいか、晝も夢に見て獨言にいふ情なさ、女房の事も子の事も忘れはてゝお力一人に命をも遣る心か、あさましい口惜しい愁らい人と思ふに中々言葉は出ずして恨みの露を眼の中にふくみぬ。
物
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