しばしの手數も省かんとて數のあがるを樂しみに脇目もふらぬ樣あはれなり。もう日が暮れたに太吉は何故かへつて來ぬ、源さんも又何處を歩いて居るかしらんとて仕事を片づけて一服吸つけ、苦勞らしく目をぱちつかせて、更に土瓶の下を穿《ほじ》くり、蚊いぶし火鉢に火を取分けて三尺の椽に持出し、拾ひ集めの杉の葉を被せてふう/\と吹立れば、ふす/\と烟たちのぼりて軒場にのがれる蚊の聲凄まじゝ、太吉はがた/\と溝板の音をさせて母さん今戻つた、お父さんも連れて來たよと門口から呼立るに、大層おそいではないかお寺の山へでも行はしないかと何の位案じたらう、早くお這入といふに太吉を先に立てゝ源七は元氣なくぬつと上る、おやお前さんお歸りか、今日は何んなに暑かつたでせう、定めて歸りが早からうと思うて行水を沸かして置ました、ざつと汗を流したら何うでござんす、太吉もお湯《ぶう》に這入なといへば、あいと言つて帶を解く、お待お待、今加減を見てやるとて流しもとに盥を据へて釜の湯を汲出し、かき廻して手拭を入れて、さあお前さん此子をもいれて遣つて下され、何をぐたりと爲てお出なさる、暑さにでも障りはしませぬか、さうでなければ一杯あびて、さ
前へ 次へ
全44ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
樋口 一葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング