りたれば人中に立まじるも嫌やとて居職に飾の金物をこしらへましたれど、氣位たかくて人愛のなければ贔負にしてくれる人もなく、あゝ私が覺えて七つの年の冬でござんした、寒中親子三人ながら古裕衣《ふるゆかた》で、父は寒いも知らぬか柱に寄つて細工物に工夫をこらすに、母は欠けた一つ竈《べツつひ》に破《わ》れ鍋かけて私に去る物を買ひに行けといふ、味噌こし下げて端たのお錢《あし》を手に握つて米屋の門までは嬉しく驅けつけたれど、歸りには寒さの身にしみて手も足も龜《かじ》かみたれば五六軒隔てし溝板の上の氷にすべり、足溜りなく轉《こ》ける機會《はずみ》に手の物を取落して、一枚はづれし溝板のひまよりざら/\と飜《こぼ》れ入れば、下は行水きたなき溝泥なり、幾度も覗いては見たれど是れをば何として拾はれませう、其時私は七つであつたれど家の内の樣子、父母の心をも知れてあるにお米は途中で落しましたと空の味噌こしさげて家には歸られず、立てしばらく泣いて居たれど何うしたと問ふて呉れる人もなく、聞いたからとて買てやらうと言ふ人は猶更なし、あの時近處に川なり池なりあらうなら私は定し身を投げて仕舞ひましたろ、話しは誠の百分一、私は其頃から氣が狂つたのでござんす、皈りの遲きを母の親案じて尋ねに來てくれたをば時機《しほ》に家へは戻つたれど、母も物いはず父親も無言に、誰れ一人私をば叱る物もなく、家の内森として折々溜息の聲のもれるに私は身を切られるより情なく、今日は一日斷食にせうと父の一言いひ出すまでは忍んで息をつくやうで御座んした。
いひさしてお力は溢れ出る涙の止め難ければ紅ひの手巾かほに押當て其端を喰ひしめつゝ物いはぬ事小半時、坐には物の音もなく酒の香したひて寄りくる蚊のうなり聲のみ高く聞えぬ。
顏をあげし時は頬に涙の痕は見ゆれども淋しげの笑みをさへ寄せて、私は其樣な貧乏人の娘、氣違ひは親ゆづりで折ふし起るのでござります、今夜も此樣な分らぬ事いひ出して嘸貴君御迷惑で御座んしてしよ、もう話しはやめまする、御機嫌に障つたらばゆるして下され、誰れか呼んで陽氣にしませうかと問へば、いや遠慮は無沙汰、その父《てゝ》親は早くに死くなつてか、はあ母さんが肺結核といふを煩つて死なりましてから一週忌の來ぬほどに跡を追ひました、今居りましても未だ五十、親なれば褒めるでは無けれど細工は誠に名人と言ふても宜い人で御座んした、なれども名人だとて上手だとて私等が家のやうに生れついたは何にもなる事は出來ないので御座んせう、我身の上にも知れまするとて物思はしき風情、お前は出世を望むなと突然《だしぬけ》に朝之助に言はれて、ゑツと驚きし樣子に見えしが、私等が身にて望んだ處が味噌こしが落、何の玉の輿までは思ひがけませぬといふ、嘘をいふは人に依る始めから何も見知つて居るに隱すは野暮の沙汰ではないか、思ひ切つてやれ/\とあるに、あれ其やうなけしかけ詞はよして下され、何うで此樣な身でござんするにと打しをれて又もの言はず。
今宵もいたく更けぬ、下坐敷の人はいつか歸りて表の雨戸をたてると言ふに、朝之助おどろきて歸り支度するを、お力は何うでも泊らするといふ、いつしか下駄をも藏《かく》させたれば、足を取られて幽靈ならぬ身の戸のすき間より出る事もなるまじとて今宵は此處に泊る事となりぬ、雨戸を鎖す音一しきり賑はしく、後には透きもる燈火のかげも消えて、唯軒下を行かよふ夜行の巡査の靴音のみ高かりき。
七
思ひ出したとて今更に何うなる物ぞ、忘れて仕舞へ諦めて仕舞へと思案は極めながら、去年の盆には揃ひの浴衣をこしらへて二人一處に藏前へ參詣したる事なんど思ふともなく胸へうかびて、盆に入りては仕事に出る張もなく、お前さん夫れではならぬぞへと諫め立てる女房の詞も耳うるさく、エヽ何も言ふな默つて居ろとて横になるを、默つて居ては此日が過されませぬ、身體がわるくば藥も呑むがよし、御醫者にかゝるも仕方がなけれど、お前の病ひは夫れではなしに氣さへ持直せば何處に惡い處があろう、少しは正氣になつて勉強をして下されといふ、いつでも同じ事は耳にたこが出來て氣の藥にはならぬ、酒でも買て來てくれ氣まぎれに呑んで見やうと言ふ、お前さん其お酒が買へるほどなら嫌やとお言ひなさるを無理に仕事に出て下されとは頼みませぬ、私が内職とて朝から夜にかけて十五錢が關の山、親子三人口おも湯も滿足には呑まれぬ中で酒を買へとは能く能くお前|無茶助《むちやすけ》になりなさんした、お盆だといふに昨日らも小僧には白玉一つこしらへても喰べさせず、お精靈さまのお店かざりも拵へくれねば御燈明一つで御先祖樣へお詫びを申て居るも誰れが仕業だとお思ひなさる、お前が阿房《あはう》を盡してお力づらめに釣られたから起つた事、いふては惡るけれどお前は親不孝子不孝、少しは彼《あ》の子の行末を
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