やうに年をば取る、最う七月《なゝつき》十月《とつき》、一年も以前《もと》へ歸りたいにと老人《としより》じみた考へをして、正太の此處にあるをも思はれず、物いひかければ悉く蹴ちらして、歸つてお呉れ正太さん、後生だから歸つてお呉れ、お前が居ると私は死んで仕舞ふであらう、物を言はれると頭痛がする、口を利くと眼がまわる、誰れも/\私の處へ來ては厭やなれば、お前も何卒歸つてと例に似合ぬ愛想づかし、正太は何故《なに》とも得ぞ解きがたく、烟のうちにあるやうにてお前は何うしても變てこだよ、其樣な事を言ふ筈は無いに、可怪しい人だね、と是れはいさゝか口惜しき思ひに、落ついて言ひながら目には氣弱の涙のうかぶを、何とて夫れに心を置くべき歸つてお呉れ、歸つてお呉れ、何時まで此處に居て呉れゝば最うお友達でも何でも無い、厭やな正太さんだと憎くらしげに言はれて、夫れならば歸るよ、お邪魔さまで御座いましたとて、風呂場に加減見る母親には挨拶もせず、ふいと立つて正太は庭先よりかけ出しぬ。
十六
眞一文字に驅けて人中を拔けつ潜りつ、筆屋の店へをどり込めば、三五郎は何時か店をば賣仕舞ふて、腹掛のかくしへ若干金
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