、美登利は障子の中ながら硝子ごしに遠く眺めて、あれ誰れか鼻緒を切つた人がある、母さん切れを遣つても宜う御座んすかと尋ねて、針箱の引出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄はくも鈍《もど》かしきやうに、馳せ出でゝ椽先の洋傘《かうもり》さすより早く、庭石の上を傳ふて急ぎ足に來たりぬ。
 それと見るより美登利の顏は赤う成りて、何のやうの大事にでも逢ひしやうに、胸の動悸の早くうつを、人の見るかと背後《うしろ》の見られて、恐る/\門の侍《そば》へ寄れば、信如もふつと振返りて、此れも無言に脇を流るゝ冷汗、跣足になりて逃げ出したき思ひなり。
 平常《つね》の美登利ならば信如が難義の體を指さして、あれ/\彼の意久地なしと笑ふて笑ふて笑ひ拔いて、言ひたいまゝの惡まれ口、よくもお祭りの夜は正太さんに仇をするとて私たちが遊びの邪魔をさせ、罪も無い三ちやんを擲《たゝ》かせて、お前は高見で采配《さいはい》を振つてお出なされたの、さあ謝罪《あやまり》なさんすか、何とで御座んす、私の事を女郎女郎と長吉づらに言はせるのもお前の指圖、女郎でも宜いでは無いか、塵一本お前さんが世話には成らぬ、私には父さんもあり母さ
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