倉の緒のすがりし朴木齒《ほゝのきば》の下駄ひたひたと、信如は雨傘さしかざして出ぬ。
お齒ぐろ溝の角より曲りて、いつも行くなる細道をたどれば、運わるう大黒やの前まで來し時、さつと吹く風大黒傘の上を抓《つか》みて、宙へ引あげるかと疑ふばかり烈しく吹けば、これは成らぬと力足を踏こたゆる途端、さのみに思はざりし前鼻緒のずる/\と拔けて、傘よりもこれこそ一の大事に成りぬ。
信如こまりて舌打はすれども、今更何と法のなければ、大黒屋の門に傘を寄せかけ、降る雨を庇に厭ふて鼻緒をつくろふに、常々仕馴れぬお坊さまの、これは如何な事、心ばかりは急《あせ》れども、何としても甘《うま》くはすげる事の成らぬ口惜しさ、ぢれて、ぢれて、袂の中から記事文の下書きして置いた大半紙を抓《つか》み出し、ずん/\と裂きて紙縷《こより》をよるに、意地わるの嵐またもや落し來て、立かけし傘のころころと轉がり出るを、いま/\しい奴めと腹立たしげにいひて、取止めんと手を延ばすに、膝へ乘せて置きし小包み意久地もなく落ちて、風呂敷は泥に、我着る物の袂までを汚しぬ。
見るに氣の毒なるは雨の中の傘なし、途中に鼻緒を踏み切りたるばかりは無し
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