(二)

 氣分すぐれて良き時は三歳兒《みつご》のやうに父母の膝に眠《ねぶ》るか、白紙を切つて姉樣の製造《おつくり》に餘念なく、物を問へばにこ/\と打笑みて唯はい/\と意味もなき返事をする温順《おとな》しさも、狂風一陣梢をうごかして來る氣の立つた折には、父樣も母樣も兄樣も誰れも後生顏を見せて下さるな、とて物陰にひそんで泣く、聲は腸を絞り出すやうにて私が惡う御座りました、堪忍して堪忍してと繰返し/\、さながら目の前の何やらに向つて詫るやうに言ふかと思へば、今行まする、今行まする、私もお跡から參りまするとて日のうちには看護《まもり》の暇をうかゞひて驅け出すこと二度三度もあり、井戸には蓋を置き、きれ物とては鋏刀《はさみ》一挺目にかゝらぬやうとの心配りも、危きは病ひのさする業かも、此|纎《か》弱き娘一人とり止むる事かなはで、勢ひに乘りて驅け出す時には大の男二人がゝりにても六つかしき時の有ける。
 本宅は三番町の何處やらにて表札を見ればむゝ彼の人の家かと合點のゆくほどの身分、今さら此處には言はずもがな、名前の恥かしければ病院へ入れる事もせで、醫者は心安きを招き家は僕の太吉といふが名を借りて心まか
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