さま御新造樣《ごしんぞさま》と言へば、應々《おい/\》と返事して、男の名をば太吉々々と呼びて使ひぬ。
 あくる朝風すゞしきほどに今一人車を乘りつけゝる人の有けり、紬《つむぎ》の單衣に白ちりめんの帶を卷きて、鼻の下に薄ら髯のある三十位のでつぷりと太《ふとり》て見だてよき人、小さき紙に川村太吉《かはむらたきち》と書て張りたるを讀みて此處だ/\と車よりおりける、姿を見つけて、おゝ番町の旦那樣とお三どんが眞先に襷をはづせば、そゝくさは飛出していやお早いお出、よく早速おわかりに成りましたな、昨日まで大塚にお置き申したので御座りますが何分|最早《もう》、その何だか頻に嫌にお成りなされて何處へか行かう行かうと仰しやる、仕方が御座りませぬで漸《やつ》とまあ此處をば見つけ出しまして御座ります、御覽下さりませ一寸こうお庭も廣う御座りますし、四隣《まはり》が遠うござりますので御氣分の爲にも良からうかと存じまする、はい昨夜はよくお眠《やすみ》に成ましたが今朝ほどは又少しその、一寸御樣子が變つたやうで、ま、いらしつて御覽下さりませと先に立て案内をすれば、心配らしく髭をひねりて奧の座敷に通りぬ。

       
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