述の如く上村源之丞座に鷹匠殿御用とした人足帳のあることである。喜田博士の「散所法師考」(「民族と歴史」第四卷第三號第四號)に依つても明かなやうに、平安朝頃から既に散所若しくは散所法師の名に依つて東寺・延暦寺等の大寺や近衞家その他の豪族に隷屬する下賤の奴僕があつて、掃除土工等の人足の用に應じてゐたことが記録されてゐる。源之丞座にある鷹匠家の人足帳と云ふのは彼等が矢張り同家に隷屬してゐることを示し、後代既に人足の用は足さず、人形操のやうな遊藝を專業とするやうになつても部族の傳統を墨守して人足帳を保持すると同時に、一方に於てはその遊藝興行の免許状や定紋提灯の使用なぞの特權に依つて種々の利益を得てゐたのである。

         七、結語(遊藝民蔑視の問題)

 私のこの蕪雜な論考に結論を與へる時は未だ當分來さうにない。私は唯久しい宿願であつた淡路人形座の地元を踏査した因縁に依つて、操に對して平素考へてゐたことを整理する力もなく、雜然と書き並べたに過ぎぬ。多くの問題は實はこれから後に殘されてゐるのである。そしてそれ等の解決に當るには今私は全く非力であることを告白する他はない。
 然し尚一つ私
前へ 次へ
全46ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
竹内 勝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング